2011年07月

3.11の少し前、私は沖縄の近現代史と取り組んでいた。
何故、「沖縄」だったのかというと、本土と比較にならない広大な米軍基地の存在等、その歴史に見られる事実を直視するとヤマトの対応の歴史の中に強烈な「差別」が見えてくるからである。同時に、この圧倒的な差別にも関わらず、沖縄の民は、生きる営みそのものが「闘い」という歴史を歩んで来た。
私は、この沖縄の民衆の精神の源泉に触れたかった。そのためには、沖縄の近代現代史を捉え直す必要があった。さてその「総論」は研究者に任せるとして、私として関心のある各論からアプローチすることとした。
その関心の第一は、明治維新以降の日本のアジアの植民地「経営」の中で沖縄をヤマトはどのような位置に立たせたかということである。
第二点は、近代史における漢民族と琉球の民との関係史が沖縄の民衆の意識にどのような影響を与えたかということである。
第三点は1972年の「沖縄返還」とは何だったのかを、沖縄人民党と日本共産党の合流の際に、この合流を拒否した人民党の人たちの精神がどのようなものだったのか、その精神の足跡を辿ることによって捉え直したい。3.11の前に私が沖縄について考えていたのは、以上のようなことであった。
こうしたことを考え、取り組んでいる時に3.11が発生した。
ところが3.11で見えて来たこの国の姿たるものは、ヤマトが沖縄の民衆に担わせたのと同質の十字架を原発がつくられ稼働している地域の民衆に課したという歴史の実相であった。
これはあきらかに差別である。
太平洋戦争の際の「沖縄を本土防衛の捨て石」にした意識と、原発を基幹産業として、発展させるためには、集中する大都市圏の経済圏から取り残された地域の民衆に、「仕事」と「金」を与えておけば言いなりになるとするヤマトのエリートの意識、ここには、3.11で私に見えて来たこの国を歴史的に貫く差別の思想があった。
そして3.11に遭遇した後、ある友人が私に次のような感想を語った。
「この国の歴史の中で、今回の3.11のようなことが何回かあった。1945年の敗戦がそうだったし、バブルの崩壊も自分には同質の衝撃だった。人の身体に例えれば、傷口のカサブタ取れ、身体の中味が見えたという感じだ。」そしてこう続けた。「今回も、これまでと同じように、カサブタができて、中味が見えないかたちで収斂してしまうのかなあ」と。
実に同感である。
「がんばろうニッポン」と言う、サッカーの応援のような軽いスローガンが羅列される平準化された社会の中では「人の痛み」には鈍い空気が充満している。
(次回に続く)

私は70年代後半から80年頃に掛けて「原発を解体する技術を確立すれば、大きなビジネスになると考えていた。同時に、反原発の、いわゆる環境派=エコロジストの運動が「原発の建設」反対という域にとどまらず、「原発解体の技術論」まで提起出来るところまで踏み込めば、新しい運動の地平が切り開かれるだろうと考えていた。
そしてこの考えは今も同じである。
ところで、私の実家は「解体屋」である。子供の頃から“アルバイト”と言えば解体工事の現場での雑用係であった。
そうしたことから建物をどうしても解体屋の視点で見てしまう癖がある。
その視点の重要なポイントの一つは、解体のコスト、つまり解体のためにどれくらいの費用が掛かるか、ということである。
この視点からみると、原発の解体の費用は無限大に近く、建設コストをはるかに上回るという特異性があり、そのため見積は不可能である。私は解体屋として、原発を見た場合、最初にぶつかる壁は、「捨て場」の問題である。それは仮に建屋や炉をなんとか解体出来たとして、その廃材を、誰が、何処に運び、何処に捨てるのかという、つまり「捨て場」の問題を、解決をすることが出来ない。その結果として見積はできないのである。原発の解体のイメージとしては、建家や炉の解体は、建設した時の逆の工程をロボット等によって辿れば、バラバラまでには出来ると思われる。このような解体工法は「手毀ち」と言われ、今風の重機によってバリバリと壊す工法とは違うもので、費用は廃材の処理場があると仮定して、重機類が中心の解体工法の約2.5倍は掛かる。
こうしたことから原発が、コストの安い電源であり、「クリーン」なエネルギーというこれまでの国や電力会社の「説明」は正当な言い分ではない。
そこでもう少し考え方を拡大して、国や電力会社ということにとどまらず、「解体不可能」なものを作る文明について考えてみたい。
人類の文化は、「造る」「壊す」そしてまた「造る」というサイクルがあるからこそ発展もしてきたし、正常たり得たと私は考える。自ら造ったものが自らの手で壊せないとしたら、そこには、無機質と言うか、露骨過ぎる人間の欲の塊だけが残ることになる。
原発ということでみると、電力事業に携わる業界と官僚の権益という欲、それと同じく利便性を求めるあまり、「お上や会社」の説明を受け入れてきた私を含む利用者の欲が重なって来たというのが、「今」をつくってしまった。こうしたことと同時に、科学や人類がつくり上げてきた社会システムは自然をコントロールしようとする本能を持つ。しかし、人間の欲をコントロールすることは出来ない。ここに、無機質で不気味なものが出来上がってしまった現代文明がある。

次回は、原発問題と通底する思想として沖縄問題を「差別」の視点から考えることとする。
(次回に続く) 

3.11に遭遇して、私は完全な思考停止に陥った。「3.11」という現実をどう捉えるのか、久しぶりに人様の書く文章をずいぶん読み漁りもしたが、イマイチ胸にストンと落ちるものは無かった。
そして、私的には「まず行動」という生来のあり方で、何か掴めるんじゃないかと考え、なんだかんだやってみたものの、今回ばかりは「まず行動」という「私の鉄則」は有効では無かった。
この思考停止傾向は今も尾を引いている。
こうした暗中模索、試行錯誤の中で、ほんの少しではあるが、そしてぼんやりではあるが見えてきたと思われることがある。
その「ぼんやり」について今回は書くこととした。
まず、「科学的であること」についての懐疑である。私は青春時代「資本主義から社会主義へと世界が移行するのは『科学』なんだ。」と某左翼前衛党の先輩から説明され、「なるほど」と思い込んだことがあった。その当時このように考えたのは私だけではなかったらしく、こんなこともあった。1960年代の後半、当時の東京教育大学(現在の筑波大学)の体育系のサークルが「根性」とか「努力」という部のモットーを「科学的練習、民主的運営」に変えたことがあったと記憶している。
つまり、科学的であったり、民主々義的であるという価値観が旧来の思考に取って代わるべきものだという信仰が、私の青春期の発想の原点になっていた。
さて、そこで原発問題を考えてみると、原発そのものは、科学的な技術の枠によってつくられ運営されてきた。そして、例えばその「説明」も科学的であるから「安全」なものだとされてきた。つまり科学的な装いがあるが故に、問題の本質に対する鋭角的な思考が鈍らされてしまったとは言えないだろうか。
そして今、私は、こんなことを考えるに至っている。人類がこの世界に誕生して以来、劇的にその有り様が変化した最初の出来事は、「火」を手にした時である。
「火」はなるほど便利なものであった。しかし、それは当時としては、否、今もなお、とんでもなく危険なものなのである。火をコントロールする宿命は、火を発見した人類が、その後背負うのである。
自らが切り開いた「もの」で、自らが苦しむことになる。この皮肉なサイクルを人類は永々と繰り返してきたのではないだろうか。
これは人類の「業」とでも言うべきものなのではないだろうか、まず、そんなことが見えて来た。

次に考えたことは「解体不可能なものをつくる」ということの持つ無機質な不気味さのことである。
(次回に続く)

↑このページのトップヘ