2011年08月

3.11直後、海外のメディアの報道には「日本人は集団の規則を守る国民性だ。3.11のような大事故、大災害が発生しても「掠奪」や「暴動」が起きていない。これは日本以外の国では例の無いことだ」と伝えたものもあった。そして、日本人のこの「美徳」が今後の復興への源泉となろうと、日本のメディアも歯の浮くような言説を流した。
ところが最近になって少し報道されることとなり明らかになったことに避難地域での空き巣がかなりの件数があったということだ。海外メディアが報道したことはある一面であり、逆の負の事実もあったのだ。
ところでこうした「日本人性善説」が語られたのと同じ時期に「菅直人は、ヤメると言明してまだヤメないのはけしからん。海外であれば「暴動」が起こるようなことなのに。日本人はおとなし過ぎる、だらしない」とする意見も耳にした。
これでは日本人は「規則正しい」のか「だらしない」のか、どちらなのかわからない。だいたい、復興のエネルギーの源泉を日本人の国民性一般に求めるのは明らかに間違いだと私は思う。私は、復興へのエネルギーの源泉は、日本とは限らず、人の世の中にある「猥雑」なエネルギーであると思う。そう思うに至ったのは、当HPで既に紹介してある6月19日に届いた「被災地の友人からの手紙」を読んで、その思いを深くした。
その「手紙」をその引用する。


被災地からの手紙
2011-06-19 (日)
宮崎学である。友人からの手紙6通目が届いたので、本人の了解を得てこれを紹介する。
アメリカ・フランスの持ち込んだ長期稼働不可能な装置、小生は2・3日と見ましたが、5時間とは。しかも水処理のプロに言わせれば高濃度汚染水相手に動いたのが不思議だそうで、高濃度汚染水は段階に処理すべきであり、何度も進言したらしいのですが、皆耳が遠いらしく、結局あの始末、政府がメーカーと直取引したらしく、商社を通せば商社は責任上様々な意見を聞いたはず。
素人が口出しするとこんなもんですヨ。
4号建屋は震度6〜7、又は台風が来ると倒壊の恐れがあるそうです。せめて補強工事位すべきでしょう。
今第一原発の現場ではゼネコン・東電の社員一番キツい場所で仕事をしているらしく、私の同級生(65歳)迄現場作業を命ぜられ東京からいわき市へと戻って来ました。まさに末期であります。政府のおエライ様方、月に何日かは是非当地にてお過ごし下され。野菜も魚も絶品ですぞ。
救援物資の集配所だった平競輪場がやっと本来の姿に戻りました。山積だった物資は小中学校で配ったり、スーパーのおまけになりました。
期限がある物は仕方ないとして缶詰は他に送るべきではと思うのであります。久々に会った競輪仲間と再会し、無事を確かめ合い、帰らぬ人となった人々の無念を思い、黒と白(2番4番車)を絡めて車券を買い、当然外れ。それでも「やっぱし競輪はエエのぉ」なのであります。
さて、いわきでは市が大半の空アパート・住宅を借り上げてしまったらしく民間人が困っております。湯本温泉のホテル・宿は大手ゼネコンの貸切りで一杯、他県ナンバーの車が数多く、居酒屋はホクホク、やはりこの町はよくも悪くも原発の町であります。


以上が友人からの手紙だ。
被災地の友人は、通い慣れた競輪場に行き、場外車券を買うという日常的習慣から、立ち直ろうとした。
「がんばろう東北」と言うような歯の浮くような「理念」からではなく、もはや以前の完全な形には戻れないことは、わかりながらも、かつて自分の居た日常を敢えて体現することで、立ち直ろうとしたのだ。友人にとってのその一歩が競輪であった。
私は日常を取り返すのが市民主義的な「ボランティア」的発想や行動ではなかったのが、友人らしいと思う。
またそこが微笑ましくも思う。
私は、この友人の心の奥底には、放射線等の影響への恐怖がないわけはないと考える。しかし、それでも「日常」を選んだのだと思う。それはある意味、仏教的「諦観」と思われる。そこには、小学校のホームルームのような「がんばろう日本」的発想ではない「覚悟」を私は見た。
私はこの友人に見られる「諦観」からスタートとした「猥雑」な、かつての日常生活への回帰の願望が復興のエネルギーの源泉ではないかと考えている。
  
(次回に続く)

3.11について我々が得ることの出来る情報は余程の特別な場合を除いて、メディアを通じて得るしかない。それ故に我々は、とりわけ3.11についてのこの国のメディア状況を検証する必要が、特にあると思う。
さて3.11直後の報道は、経産省系の官僚や東電の「会見」と地震、津波の映像等の情報が中心であった。この段階での報道は、官から与えられる情報しか持ち得ないという限界と未曾有の大惨事への対応に、思考停止状況にあったのであろう、3.11に対するメディア側からのメッセージ性のある「報道」が無い分だけ、かろうじて読み聞きに耐えられるものであった。ところが3.11からおおよそ1ヶ月程経った頃から、メディアの伝えるところに彼等の「評価が出始めた。いわく「がんばろう東北」曰く「がんばろう日本」というスポーツビジネス企業が「観衆」をスタジアムに「動員」するかのごとき意味不明のキャッチコピーがまずそれである。その後、同程度の水準で「絆」というのも多用されるようになった。
この種の「言葉」が氾濫するようになるということは、同時に、メディアが取り上げるポイントが、イベント中心主義に変質し始めたことを意味する。これは明らかに広告代理店的発想が情報発信の中心に混入してきたことを意味する。
ところでこの「絆」という言葉の持つ意味は「運命の共同」つまり、生きるのも一緒、死ぬのも一緒ということが基本にあり、もともとの意味するところは、実に生き生きした実感的なものである。そこには「観衆」と「プレーヤー」という区分けのない一体の世界がある。そこで被災者の今置かれている状況を考えると、広告代理店的発想で言うところの「絆」などという耳障りのいい言葉を使える人間が果たしてこの国にいるのだろうか。どこにもいる訳がない。自らに「運命の共同」という固い意志も無く、この種の言葉は語られるべきではない。
しかし、この種の「言葉」の氾濫は、3.11の「収拾」を官とメディアが如何なるイメージであるかは示している。それは1945年の敗戦時に「一億総懺悔」という論調がメディアと生き残りを賭けて官僚が用いた事実と類似している。
ところでこの国のメディアは、事件、災害、事故の被害者を劇場公演の舞台の主役にし、観客は新聞の読者だったり、テレビの視聴者だったりで、観衆の役割を果たさせようとするのが得手である。その際、国民の多数は、観衆の立場を演じさせられ、目の前で繰り広げられる「劇」を安全なところから見物させられる。そこには「運命の共同」は存在しない。
最近では、被災地で行われる「祭り」や海外に短期間のホームスティする学生の姿などに何か意味があるかのように報道するという具合である。しかし、さしもの劇場型報道もネタ切れのようだ。
そもそも3.11はこの国が官僚やメディア産業によって創り上げられてきた「イベント型の偏執と熱狂」の歴史が持つ虚構性を、結果として暴くものであったと、私は考えている。
ところで今、私の目の当たりに展開されている悲惨極まりない現実は、メディアが伝えるような「劇場型公演」でもなければ、まして玉転がしに一喜一憂するサーカーゲームでもない。そこには生身の人間が生きんがための苦闘がある。そして数え切れない「死」の悲しみがある。しかし残念なことにこの国のメディアは3.11を、国民を観衆の立場に置くといった愚劣な劇場としてしまい、メディアが特に年間3兆円と言われる原子力開発のための国民負担の税金を「喰って」来たことに対する「追求」からの逃亡を図ることに躍起となっている。再度言うが、劇場とは舞台の上で役を演ずる役者と、そこで演ぜられるものを「眺める」観客がいる。ところがメディアによるこの種の「情報」のデフォルメによって、国民と被災者との運命共同体的な一体感は稀釈化してしまった。そしてそこで演ぜられるものは「虚構」となってしまっている。
しかし、3.11は虚構ではない、ましてテレビドラマでもない。それは厳然たる事実である。
そして今、何よりも肝要なことは、3.11に向き合う姿勢を「イベント化、劇場化」してはならないということである。劇場化する民衆の意識が加速する中では、復旧、復興もイベントの中の一つのシーンとして捉えられてしまう。
被災地における人々の努力を、イベントとして捉えることを自己への責任追及から逃亡できる唯一の方途として汲々とするメディアと官僚の姿に、私は激しい嫌悪感を持つ。


(次回に続く)

「やらせメール」問題について思うところを書く。
3.11が問いかけている問題は「やらせメール」を九州電力がどのように仕組んだのか、また誰が悪いのかと言った、矮小な問題ではない。
問われているのは、原発について言えば、スタートから今に至るまでの世論「対策」の全過程について「それで良かったのか」という本質的な問いである。
ところで洋の東西を問わず、国の政治エリートや官僚がその国民の共感を得にくい政策を行おうとする時には、彼等と利益共同の関係にある、メディアを駆使するのが常套手段である。
そうしたことから、国策として、原発の推進を掲げ続けたその経産省が主催する「県民向け説明会」で、問題となったメール事件のような小細工を行うのは、言ってみれば、彼等にとっては「普通」の仕事であり、そうした小細工が出来ないのなら、「主催」する意味はないと考えている。まして、3.11の後、原発に対する国民の嫌悪感が昴っている時に、それとは逆の「県民」の意志が示されることは、「意義深い」という発想を持ったことは容易に推測出来る。

そうした「性(サガ)」とは別に、原発事業者と官僚が費消してきた、莫大な「広報費用」にタカってきたのが、既成のメディア、とりわけ新聞、テレビ、通信社、広告代理店である。
例えば、なるほど今となってはこれらの既成メディアは、「やらせメール」などに一見批判的な論調を唱えているかのように見られるが、実は、そこは既成メディアが今まで「タカリ行為」についての批判から身をかわすためのアリバイ作りを、焦って行ってきた姿が浮かんで来る。批判されそうな時は批判者になるのが得策というメディア特有の反応である、これもまた「性」なのである。
そこで、「国策」とメディアの関係というテーマの検証は、今回の3.11で、我々のような表現に携わっている者は、特に重いものとして考える時が来た。
そうした視点から見ると、裁判員制度導入(2009年)の際の官民一体のキャンペーンには、原発推進キャンペーンと国民を蔑視するという点で、発想と手法に通底するものがあったと私は考える。
人工的に形成された「世論」が支配する社会が、この国では完成してしまった。
(次回へ続く)

社会権力の消長が社会全体に及ぼす影響の大きさ、深さをしみじみ感じさせられたのが、3.11だった。
今さら、「たら」「れば」の話をしても仕方が無いことを百も承知のうえで話してみよう。
この国は、60年代〜70年代にかけて田中角栄に見られる自民党内の土建屋系政治家とそれと癒着した官僚群が押し進めた政策によって、雨後の筍のように、中小零細の建設関連会社が全国に生まれた。このグループが2000年代初期の小泉、竹中の新自由主義的な政策によって半減の憂き目を見るまでは、地域社会を支える支柱として、ある種の共同体を形成し、その地域の社会権力として良きにつけ悪しきにつけその役割を果たしてきた。
こうした土建屋的社会権力の弱体化には様々な原因があるが基本構造は、2008年3月28日付、日経ビジネスオンラインの記事でとび土工や鉄筋工など建設職人の団体である大阪府建団連会長の北浦年一氏へのインタビューが指摘しているところが、正確である。
その中で北浦氏は「談合はなくなったのか」という質問に答えて次のように話している。
「(大手ゼネコンが仕切る)談合組織はほとんど潰れたから、もうほとんどないわ。これは、とてもいいことと考えているよ。ただな、談合がなくなって何が起きたかと言うたら、自由競争という大義の下にダンピング競争が始まった。」
北浦氏の指摘しているところが、3.11の東北では次のような形で現れていた。
それは、スーパーゼネコン以外の準大手ゼネコンは、公共事業の予算削減とコンプライアンスへの過剰な傾斜の結果としてのダンピング、それに加えて東北の特別な事情としての東京地検特捜部による小沢叩きという異常な状況の下、東北の支店を実質撤退させていた。
こうした結果、準大手ゼネコンの下請けで東北を地元とする中小零細土建会社には倒産、廃業が相次いだ。こうして3.11が発生する前の東北の状態は、かつての土建屋共同体=社会権力がほぼ崩壊していたと言える状態だった。
もう一つ興味深い指摘がある。2007年の大分県での出来事である。「『西日本新聞』2007年(平成19年)9月16日付朝刊は、『建設業協会佐伯支部 入札への要望拒否に対抗 市との災害協定 破棄』という見出しで、大分県佐伯市での出来事を報じている。
 「県建設業協会佐伯支部(佐藤現支部長)は14日、佐伯市と締結している災害時の応急対策活動を破棄するとの申し入れ書を西嶋泰義市長あてにて提出した。公共工事の入札について要望が受け入れられなかったことへの対抗措置。
 西嶋市長は『誠意を持って回答したが。理解得られず残念』とのコメントを出し、現状では要望を受け入れない考え方を示した。
 同支部は公共工事の減少に伴い厳しい経営環境にあるとして(1)高落札率入札調査制度の撤廃(2)協会会員相互の指名(3)本年度工事の早期発注(4)低入札価格調査の失格基準設定を市に要望、業界への配慮を求めていた。
 西嶋市長は要望に対して文書で回答。協会会員に配慮する相互指名について『(現行入札制度は)競争性や公平性、透明性を確信しつつ指名している』として、変更を拒否。落札率が高い場合に調査する制度については『4月から試行し実効性を検証しているところで、撤廃について判断するのは尚早』として、撤廃の要望を受け入れないと答えた。
 回答に対して、同支部は『誠意が見られず、失望の念に耐えられない』として、協力協定の破棄に踏み切った。」つまり、小泉、竹中路線のグローバリズムと新自由主義的政策の潮流は東北にとどまらず、全国的に土建屋共同体が変質を余儀なくされていることをこの大分県の出来事は示している。
ところで、土建屋共同体は、もともと災害が発生した時にどのように機能をしてきたか。災害が起きた時に誰よりも早く現場に駆けつけ、火事の場合は、類焼を防いだり、水害の場合には土嚢を積んだり川に流れ込み、橋を破壊する大きな材木を引き揚げたりしてきた。もちろん、これらの行動には、その後に発生する復興の仕事を受注しようとするもくろみがあり、今風のボランティア活動という「無償」の行為とはその趣は全く違っている。むしろ職業意識からスタートするものであったと言えよう。
しかし、災害が発生した初期の段階では、これらの土建屋共同体の行為は被災した人たちにとっては国や地方自治体が手続きを踏んで行うものと比較して、極めてスピーディーであり、それに永きに渡って蓄積したノウハウがあるだけに、有効で適格な「仕事」ぶりであった。
さて、そこで「たら」「れば」の話をしよう。
もしも、3.11の時に、新自由主義的政策に席巻されることなく土建屋共同体が生き残っていれば、3.11はその範囲が広大だという条件があったとしても、そして放射能問題があったとしても95年の阪神・淡路大震災並みの対応が可能であったと、私は考える。
百歩譲って、放射能問題でその対応のスピードが遅れたとしても、今のような体たらくはなかったと思われる。
政治家や官僚の能力とは全く違う質の存在であった「社会的体力」が発揮されていたであろう。
本文<その3>で書いた「かさぶた」の下で進行していたものが、この国の社会が病んでいて基礎体力がおとろえていることを顕にした。この時を3.11が直撃した。それだけに事態は深刻なものとなっている。
(<その4>終わり)

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