2011年09月

3.11で私の中に潜んでいた、ある感情が暴れ出した。それは「言葉」についての感情である。
もともと私は、プロパガンダ系の「言葉」が充満する社会の中で、ものごころがついた。そして自分からもその種の言葉を大いに使いながら、つい最近まで生きて来たと思う。
そして、もうそうした「言葉」を否定しようと考えていた矢先に3.11と遭遇した。
もともと私は、原稿を書いて生業を建てるようになってから、啓蒙的な文章を可能な限り排除したいという欲求を持っていた。しかし、読者との関係においては、どこかに「啓蒙」が入り込んでしまう。それが苦しかった。
その時私は、「お前は人様に『説教』できるような人間なのか、いつからそんなに偉くなったのか」と自問していた。その私にとって、最近、とりわけ3.11以降、世間で流行のように使われている言葉への反撥がつよくなっている。具体例を挙げると、次の二つの例がわかりやすい。
一つは、政治家が使う慣用語となった感のある「〜しっかりと〜」という言葉であり、今一つは、スポーツイベントの際の集客ために使われる「絶対に負けられない試合がある」というキャッチコピーだ。
この二つに通底する感性に私は、反撥を強めていた。これらの言葉の出自は後者においては言うまでもないことであるが、前者もプロパガンダ系ということで同質ものである。
私はプロパガンダ系の言葉からの離脱を意識しているから、余計にこの種の「言葉」に反撥するのだとは思うが、百歩譲って、同じプロパガンダとしても、このプロパガンダ系を今風に表すとキャッチコピーということになる。そうだとすると、最近のそれには、例えば1983年の「おいしい生活」というくらいのひねりがない。つまり洒脱さがない。洒脱さを欠いたプロパガンダの言葉は、それが表現していることとは、真逆の印象を与える。そして何よりも言葉として肉感性がなく、無機質である。旧社会主義国がスローガンで使った言葉の方が、まだ少しは血肉性があった。
こうしたことから私は最近の「言葉」に反撥していた。
わたしにとって3.11はこうした時に起こり、そして3.11以降に飛び交う言葉の中に、無機質さがさらに増幅していると思うようになった。
こうした無機質な言葉は、社会そのものが無機質になったからだと思う。つまり3.11のような悲惨な状況に直面しても、それを「劇場」としてしか感じることのできない感性の摩耗と貧しさが完了してしまったと私は思う。
さて、その「劇場」化であるが、本当の「劇場」で使われる言葉は実に重いし、肉感性に富む。しかし「自らの身は安全なところにある」観衆としてしか現実の目の前にある歴史に参加しないとする精神を、その根元とする「劇場化傾向に私は反撥しているのである。
こうしたことは「歴史」に対しても同様で、私は「歴史」は「観る」ものではなく「行う」ものだと考えて来た。
その中でも「ガンバレ東北」「ガンバロウ日本」という言葉が、その最たるものだ。その言葉を発する側の人間はあくまでも観衆して位置する。ガンバル側のプレイヤーとの意識の共有はない。それ故に肉感的ではない言葉に終わっている。
この「創られた参加意識」を糊塗するものとして、サッカーの場合はサポーターなるものが、スポーツエンタティメント・ビジネスによって作られたのだのだと私は考える。
さて、3.11以降の歴史に「劇場型」ではなく、主体的にどう関わるのか、自らの歴史の最終章と重ねて歩む時が来たようだ。

(「3.11に思うこと」終わり)

3.11が結果として問うことになったものに大手メディアが行う「世論調査」という「儀式」に見られる特性である虚構性とその閉塞性の指向を指摘したこともある。

9月4日の日曜日に、大手新聞各社は、野田新政権に対する「世論調査」の結果を発表している。その結果として出された数値はおおよそ予測通りの内容であった。この数字は前任者の菅氏がひど過ぎただけで、野田氏についての積極的支持ではない。この一連のメディアの調査と発表に問題意識の欠如というか、メディアのあり方として、口先では「被災者の支援」などとは言うものの、その根幹たる精神が欠落しているのを私は痛感した。それは、取りも直さず「被災者」への配慮の欠落である。

私は311以降、何度か被災地の人々と会った。そして話を聞いた。その時、明らかに「特別な思い」を見た。

今、この国の中で、被災者の人々が持っている意識と(私を含む)被災者以外の意識の「差」は明確に存在しているし、むしろこれは当然のことである。

ところで今回、世論調査を行った各社は被災現地に記者もたくさん送り込んでいるし、その「差」については知っていたはずだ。否、知っていなくてはならない。そうだとしたら「彼等」が今回行った世論調査の統計の数値の中から、その「差」を見つけることはいとも簡単であったと思われる。そして、被災者の人たちの意識=世論を抽出した形で発表されるべきものであった。しかしメディア各社は、意識的にか無意識的にかわからないが、それを行おうとはしなかった。

今回の世論調査で思うのはメディアが体質的に持つこの社会の中にある「意識の断層」を知っていながら、それを明らかにせず、耳障りのいい、例えば「絆」というような言葉に「変換」してしまう「業」の深さである。そこから私は、如何ともし難いエリート臭を超えた支配者意識すら感じさせられる。

話は変わるが、私は、今、中国現代史に興味を持っている。中でも1976年の周恩来と毛沢東の死去と中国民衆の意識の変化について興味がある。この1976年の毛・周という中国革命の二人の指導者の死去を、1966年から始まった「文化大革命」を、10年を経た中国の民衆は、どう捉え、どう考えたかという点に関心を持っている。

1976年4月5日の「4.5天安門事件」、これはその後1989年6月4日の「6.4天安門事件」へと続くのであるが、「4.5天安門事件」を私はサイレント・マジョリティ(silent majority)が「戦争」以外で社会的に現出した珍しいケースだと考えている。

結果的には、このサイレント・マジョリティが、江青等の文革4人組を失脚させることとなった。そして次に生まれてきた新しい権力の評価は別として、社会として、歴史を民衆が統一的な指導部の存在なく動かした部分に私は関心を抱いている。もちろん党幹部の権力闘争と深く関わっていたことは容易に推測できるものの、しかしこの1976年の時点から、意識の「外部注入」によって「民衆」を動員するという手法が限界に達したという時代の潮目ではなかったのだろうか、私はそんなことに興味を持っている。現にその後80年代後半から始まったソ連始め、東欧社会主義国の崩壊も、また最近の北アメリカ地域の民衆の運動も、76年「4.5」天安門事件と同質であることから、それがうかがえる。

もともと民衆の意識の底で動いているもの、それはわかりづらい。しかしわが国の民衆の意識も当然変化している。しかし残念ながら、この「変化」は、日本の新聞各社の世論調査からうかがえることは無い。表面的でお仕着せの日本の報道からは、何が「事実」なのかは見ることができない。

そして私は、約1年半前から顕著となった民主党内の「反小沢」キャンペーンは、メディアの「新たな翼賛化」の始まりと捉えていた。3.11の衝撃はその翼賛化をさらに進行させるものとなった。この国のメディアは低劣で新たな閉塞にこの国の民衆を追いやってしまった。

宮崎学である。

友人からの手紙7通目が届いたので、本人の了解を得てこれを紹介する。
あり得ない話が9月1日朝日新聞にあった。
第一原発で汚染水かぶった協力会社(下請け会社です。)の作業員がいた。記者によれば高濃度汚染水から放射性セシウムを吸着させた機器の保管場所で水抜き作業をしていた。一人がはしごでホースを外し一人がはしごで支えていた。外したホースから水が漏れ、はしで支えていた作業員が水をかぶった。上の作業員はかっぱを着用、下の作業員は防護服のみ。染み込んだ水が体に付着。基準の10杯近い線量を計測したとある。信じられない事故と言えよう。
私が東電第一、第二で仕事をしていた頃は安全に関してはすこぶるうるさく、ハシゴ作業など絶対に許可されず脚立の使用に関しても必ず足場板を二枚重ね、三点支持、ゴムバンドで固定、床を傷つけぬ様に床、又は脚立を養生する(ものすごく面倒なのです)。
外部、高所は足場を組む。これが当たり前でありました。
作業前に仕事の場所、手順、危険防止の方策を所定の用紙に書き、現場の目立つ処にそれを下げ、それから仕事が始まる。今回の事故はそれら一切を無視、又は省いたのでしょう。これほどのチョンボを労基署は何とする対応を公表せよ。
原発作業員に関しては様々なウワサがあります。まさかと思ったのが盆前に白血病で何人もやられた話です。新聞によれば6月上旬、休憩所入り口で線量測定の仕事をしていた人が7日間で入院、翌日亡くなったそうです。
もはや第一原発は人の居る処ではありません。
福島市では鼻血を出す子供が多いらしい。
小名浜に揚がったカツオはキロ100円、福島産牛肉はA4ランクで2〜4割安。余所者が作った原発の町の住民は原発ジプシーとなり行くあてもなくさまよい歩く。そして誰もいなくなる。そんな日が近い気がします。
東電、日立、東芝、IH,大手ゼネコン福島第一原発で恩恵を受けた全ての企業は保養所、空いている社宅、国は議員宿舎を原発難民に明け渡せ。放射能に関する研究所と病院を作れ。第一原発は毎日作業日誌を公開せよ。利害関係のない機関に立ち入りを許可すべし。
四の五の言う前に動け。これが私周辺の方々の思いであります。

 

9月1日
いわきの小市民より 奥歯噛みしめつつ。


全てが様変わりした。
その予兆は、それぞれの分野で既に始まってはいたのだろうけれど、3.11によってそれが全面的かつ体系的な「変化」へと、加速度的に進行している。
この「変化」は、これまでまことしやかに語られ、「常識」とされていたものの総否定と言えよう。
まずは、政党政治が否定されてしまった。
もともと、この国の政治は、自民党による長期にわたる支配があり、それを否定するかたちで民主党への政権交代がありはした。
しかし、自民党支配の時代がそうだったように、この国の政党は、政治理念による結合ではなく、政治家を職業として世襲する利益集団の再分配機関としての連合体であった。そのため機能しなくなって、相久しい。それが民主党・菅政権の下で、より完璧なものとなった。この状況下では、国民が期待したような民主党への政権の交代で「理念」に基づく政治が生まれて来ることはなかった。むしろ自民党時代より、より矮小化したものへと傾斜しつつあった時に、3.11の直撃があったのだ。その結果、矮小化は一気に進行した。それは、官僚へ擦り寄り、取り込まれるかたちだ。このことが菅政権の成立と崩壊の中でより鮮明なものとなった。そして最後に当然の帰結として、野田政権に辿り着いた。
私は、この国では、「より悪い政治」しか生まれてこないという土壌があると言えるのではないかと考えている。「よりましな、次善」選択は、この国では今まで一度として無かった。
そして3.11は、この政党政治的なるものを、それがもともと存在していたかどうかは別にして、完全に壊れてしまった。それについての菅直人の思想的、政治的な陥没状況については、このHPの1月10日付 【素人の好戦性】【玄人の好戦性】で指摘はしておいたので、参照としていただきたい。
私は、この指摘は現在でも間違っていないと確信している。
菅によってスタートし、野田へと継承されたものが何であるかを考える時が来た。
その結果どうなったのか、それは官僚主軸の「オールジャパン」体制、つまり、政党政治が霧消し、新たな官僚翼賛の政治体制が生まれようとしている、暗澹たる事実だ。
さて、こうした背景の中で8月29日に民主党の野田代表が登場し、第95代首相となった。自民党、公明党との連携を掲げる野田氏の下で、民主党内の進行していた傾向が、さらに深化し「最終局面」を迎えることとなった。
そこで、今一つ考えなければならないのは、小泉、竹中が強行した新自由主義的政治が、3.11の被害を拡大させたという、覆い隠すことの出来ない事実の重さだ。
それについては本HPの8月1日付「その5」 で書いた通りである。旧い共同体の破壊だけが進行し、資本の論理が純化して貫徹されてしまったということではないだろうか。
ところで、今回の民主党の代表選挙が行われ、野田新首相が誕生した。この背景にあった支配的な論理は次のようなものであった。
それは、現在のような未曾有の国難の時、国民は「一致協力」しなくてはいけない。大雑把に言えば、これが現在のこの国のメディア、政治家などのエリート及び民主党内の多数派の論理であった。
私はもともとこの「国難」という表現が好きではない。何故かと言うとその後に続く言葉が「国民一致・協力して云々」と読めてしまうからである。つまり表現として「予定調和」過ぎるからだ。
現在のこの国の状況は、「国難」と表現するのではなく、「危機」と表現すべきものと私は考えている。しかし、それはあくまでも表現の嗜好の問題であって、仮に3.11以降の状況が「国難」であるとしても、「一致・協力」を強いる権利は誰にもない。
むしろ、事態は逆で、百家争鳴の熱情ほとばしる議論が、今こそ必要だと私は考えている。
「国民、一致協力」の名の下で根元的な議論を封じた場合、そこには現在の危機に立ち向かう「エネルギー」は生まれてこない。そこには予定調和の結論が待っているだけである。
3.11が投げかけたものは、この国に支配的に存在していたこの「予定調和」が、とりわけ人災の主たる原因だと明らかにしたことだ。振り返って考えるに私自身もこの「予定調和」に抗うことを、馬齢を重ねるにつれ、やめてしまっていた。その反省の上に立って、この精神の退廃からの離脱を求めていこうと私は今、考えている。
この思いを強めるのは8月30日、第95代首相の登場こそが、この国の病根である「予定調和」の産物としか思えないからである。
考えるに、内部に対立のない組織ほど、非人間的なものはないと私は考えて来た。これは、政党でも国でも同じである。熱情に基づく対立があって、激しい議論を経て収斂した時に初めて、「統一や協力」の共同意識は生まれてくる。まず「統一や協力」があるのではない。統一、協力ありきでスタートした場合、意見の違う部分への「排除の論理」が働いてしまう。そしてこの「排除の論理」が不毛な内部対立の連鎖を招くこととなる。
こうしたことから私は、党内に意見の違う派閥が存在することを了とする。そして仮に党内でルールに基づいて決定したことに対して、反対派が従わないとしても、その反対派を「排除」せず、一定期間の後に検証し、仮に少数派が間違っていた場合は、少数は潔く「自己批判」する。
そして、それを多数派は受け入れるとする政党組織文化の中から「統一」や「協力」の精神は生まれて来るのであって、形式的な多数派が今まで言ってきた「党のコンプライアンス
、つまり党の場合、「綱領や規約」優先主義からは、本当の意味の党的な団結は形成されることはない。
野田新政権は、こうした政党政治に対する思想的な退廃の極めに誕生した。    

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