体調を崩されていることは案じていたが、そろそろ年末のごあいさつに伺おうと思っていたところだった。
またひとり昭和の戦後史の生き証人がいなくなったことは寂しい限りである。
謹んでご冥福をお祈りする。

2013年11月29日 宮崎学



[caption id="attachment_1781" align="alignnone" width="280"]2012年3月3日、東京・新宿で開かれた講演会「暴排条例・暴対法改訂がもつ〈危険〉」で講演する辻井喬氏。 2012年3月3日、東京・新宿で開かれた講演会「暴排条例・暴対法改訂がもつ〈危険〉」で講演する辻井喬氏。[/caption]

堤清二氏死去=セゾングループ築く、86歳—作家「辻井喬」[時事通信社]
東京新聞・筆洗(29日付)
本名とペンネーム。二つの名を使い分ける人は数多(あまた)いるが、その二つの名前がいずれも抜群の存在感を放つ人はまれだろう。「無印良品」などで日本の消費文化に新風を吹き込んだ経営者・堤清二。小説や詩で活躍した辻井喬▼二つ顔を持つこの人はある時、たまたま会った財界の大物に誘われ、用件も知らぬまま新聞社の幹部に会いに行く。その新聞は、米国による北ベトナム空爆を批判する社説を載せていた。財界人らは偏向報道だと非難し、圧力をかけた。「このままでは、広告出稿ができなくなる」と▼堤さんは用件も聞かずに同行した軽率さを悔やみつつ言った。「僕はあの社説は偏向しているとは思いません。北爆を続けてもアメリカは国際的に孤立するだけで、勝つことはできないと思います」▼日々、実利を追う経営者の世界と、精神性を大切にする芸術家の世界。堤さんは回顧録『叙情と闘争』(中央公論新社)で記している。この二つの世界の<音信不通と言ってもいい断絶>こそは自分が直面し続けた断絶であり、堤清二と辻井喬の分裂でもあると▼その葛藤の末たどり着いたのは、どんな世界だったのか。回顧録はこんな詩で結ばれている。<もの総(すべ)て/変りゆく/音もなく/思索せよ/旅に出よ/ただ一人/鈴あらば/鈴鳴らせ/りん凜(りん)と>▼凜とした響きを残しつつ、堤さんは人生の幕を閉じた。