イノセ批判が止まらないが、今さらという感じではある。
以前、東京新聞に載せたコラムを転載しておく。
物書きはこのくらいのセンスがなくてはいかんよ、と言っておこう。
もちろん、しっかりイノセから抗議がきた(笑)
というか、今となってはイノセに投票した300万人の都民の罪の方が重い。



本音のコラム 2005年7月28日東京新聞 「猟官運動」
 最近、ある新聞記者から質問を受けた。今の内閣が改造された頃の話で、「作家の猪瀬直樹さんが国交大臣になりたくて首相官邸に足しげく通い、熱心に猟官運動をしていたのを聞いていますか」というものだった。私には具体的な情報がなかったため、「猪瀬氏がどのような人格の人なのかよく知らないし、確かに物書きとしての業績にはさしたるものはないものの、物書きが猟官運動というはしたない行為はしないんじゃないかなぁ」と生返事をしておいた。
 私は中坊公平氏が住管機構(現RCC)の社長だった時、弁護士とは存在として「在野性」の中にあるべきとして批判したことがある。今となってはこの批判は全く正解であったと考えている。そして物書きも弁護士以上に「在野」であるべきというのが私の考えで、その政治的な「意見」は「在野」的に表現されて意味を持つという意見に同意する。時の政権の人寄せパンダぐらいの意味しか持たない政府委員などに成り下がることは、物書きとしてはよほどの「自覚」がなければできないことであると思う。
 さてその物書きがその「在野性」を純化させるとアナーキーな発想となることが多い。そのためか、一昔前の物書きには無頼派的な人が多かった。例えば猪瀬氏が師とする故本田靖春さん(本田さんはそうは考えていなかった)などは、ある意味ではその典型であった。