カテゴリ: 本音のコラム

本音のコラム(20回目)7月17日付

 5月22日付けの本欄で「借金考」を書いたところ、読者諸氏からたくさんのお叱りや励ましを頂いた。この場を借りてお礼を申し上げるものである。

 そこで今回は、もう一度カネの貸し借りについて記す。

 借りたカネを返すのは当たり前のことであるから、これを否定する筆者のような考え方は不道徳であるという意見がある。誠にごもっともである。

 だが、借りたカネを約束どおり払えない。ここに市井の人の悩みがある。また、生きるためにはカネを借りなければどうしようもないという事情も、人の長い人生の中では起こりうる。つまり、返せなければ借りなければいいという理屈では解決のつかない修羅場が人にはある。

 きれいごとでは済まないことがあるのが世の常とするなら、そのきれいごとを金科玉条のごとく唱える例えば親の子に対する行為が、どれだけの情愛の発露と言えるのだろうか。

 借りたカネを約束どおり払えない、また将来払えなくなるかもしれないカネをも時には借りざるを得ない。そして結局は払えなくなる。こうした時に人としてどう対処すべきかを教育するのが親の愛である。

 借りた金を返せなくなった時、「返すのが人間だ」と言われていた者にとっては、結論としては自死しかなくなる。筆者は金より命が尊いと考える者である。金ごときのために自らの命を絶たせる「道徳的」的な規範を拒否する。まして子供の自死に連なる親のしつけなるものも。

本音のコラム(19回目)7月10日付

 不況が続く日本の映画産業なかで、比較的リスクの少ないストーリーとして重用がられているのが、動物、女性、子供が登場するものとされている。

 これは映画に限らずテレビを含む映像のキーワードでもある。

 こうしたことから見ると、湾岸戦争時における油まみれの海鳥、今回のイラク戦争での女性捕虜などは、プロパガンダの手法としては現代的で理にかなったものとは言えよう。

 ところで、社会の諸現象は「結果」である。それには必ず「原因」がある。この視点からイラク戦争を捉え返してみると、この戦争の原因は「大量破壊兵器の存在」であった。

 ところが、ソレがないというのが結果であった。原因がなく結果だけがあったのである。こうなると、米英に残された最後の手段としては、原因を創造するしかない。そこで、映像メディアの手法が助け船となる。

 例えば、ジョージと呼ばれる賢い軍用犬が砂漠に埋められていた大量破壊兵器を見つけたというストーリーが考えられることとなるであろう。そしてジョージがニューヨークに紙吹雪の凱旋を行う。これなどは好まれそうな絵柄である。もともと大量破壊兵器の最大の保有国は米であることは周知の事実であり、米本国からこっそり運び埋めておくなどお手のものであろう。

 結果と原因に対する冷静な考察が放棄され、映像的に創られた結果だけで時代が流れていることには、違和感を越えた閉塞感を抱くものである。

本音のコラム(18回目)7月3日付

 土地、建物などの不動産の登記ほど現代社会の「幻」性を物語るものはない。

 土地、建物の登記簿は所有権を示す欄として甲区といわれる部分、抵当権等を示すものとして乙区とする部分に分類されている。

 例えば住宅ローンで一戸建てを購入した場合、甲区には「所有者」の名前と住所などが記載され、乙区にはローンを組んだ銀行などの金融機関名と借入金額などが記載されている。国民の間に強くあるとされる「持ち家」願望というものは、結局のところこの甲区欄に自らの名前を記したいというものである。

 ところが法的にはなるほど甲区は所有者と言うことであるが、ローンの返済が滞れば、自動的に乙区の抵当権者が権利を行使し競売ということとなり、所有権者の立場は抹消される運命になる。極論すれば、甲区は店子、乙区は大家の関係に近いものと思われる。

 大家は店子が月々の支払いが出来なくなればいつでも追い出せるという権利関係にある。

 そうだとするなら、ローンで家を買うという行為が果たして「持ち家」願望を実現するものと言えるのだろうか。そのうえ、仮に30年のローンを組んだとした場合、その発想の根底には30年間病気もせず無事に過ごし、なおかつ定期的収入が継続するという大前提がある。これは「幻」というのではないだろうか。甲区欄に名前を記すということが「持ち家」願望の実現と思いこみ「努力」することの意味は、実に虚しい。

本音のコラム(17回目)6月26日付

 世の中には理解に苦しむことがたくさん起きるものである。例えば、テレビの視聴率の最近の傾向として、イラク戦争中にもかかわらず北朝鮮報道の方が視聴者に好まれ視聴率が高いということなどもその一つである。

 テレビが流す北朝鮮報道の特徴は、表面的な現象を同じ映像と同じ趣向で繰り返し流すというものである。北朝鮮という国家、朝鮮労働党という党が、歴史的、国際的にどのように形成され、何故結果として悲劇的な現状に立ち至っているのかと言うことを報道した番組にお目にかかったことはない。しかしイラク戦争報道の場合は北朝鮮報道とは違い、その原因と結果、そして論理を報道しなくては、テレビ番組として成り立たなかった。こうして曲がりなりにも目の前で起こる事態の原因と結果を検証しようとする報道を視聴者が好まなかったということなのであろう。

 目の前で起きる事態への「情緒的」で「軽い」反応、それが現在の多数派の性向である。この性向は、小泉内閣の支持率と通底するものである。つまりリストラにあってもなお「痛み」を与えた政権を支持するサラリーマンとその家族の気分がこれである。イラク戦争報道よりも北朝鮮報道を好む気分と同質のものである。

 原因があるから結果がある。小泉内閣の失政があるから今の不況が、そしてリストラが倒産があるのだ。こうしたことの原因をこの国の多数派は見たくないようである。

本音のコラム(16回自)6月19日付

 社会には、様々な対立がある。またその対立が歴史を動かしてきた原動力でもある。この対立には、民族、宗教、国家、階級、党派、そして文化等々があり、その種類は実に多様である。

 ところが、その対立は厳しければ厳しいほど対立する相互が瓜二つのものになっていくという宿命的ともいう特徴がある。例えばユダヤとナチである。ナチによって徹底したジェノサイト(民族浄化)の被害を受けたユダヤは、まったく同質の行為を今パレスチナに行うこととなっている。

 こうした例もある。旧ソ連を中心とする社会主義と対立したアメリカは、旧ソ連がスターリンの下に企図した「革命の輸出」と同質の「グローバリズム」を今求めるに至っている。

 つまり対立し敵対した相手の悪しき体質をさらに純化させ、その胎内に醸成していくということである。

 こうして対立は新たな対立を再生産するという輪廻転生的な側面を持つ。とかく人の営みとは、かくも空疎なものなのである。そうであるなら、人は対立する渦中にあるとき、その対立は虚ろなものであると言うことをどれだけ自覚できるかが「知」の水準ということになるのではないだろうか。

 そして今アメリカは反テロリズムということでイスラムと対立している。また日本は反北朝鮮と言うことで対立の感情を露わにしている。こうしたことの結果がそれぞれの内にテロリズムと朝鮮労働党的なるものを間違いなく育んでいくのである。

↑このページのトップヘ