喜代美レポート20 99/6/26
今日(6月25日)午後になって初めて児玉さんに田中被告無罪判決のことをお伝えすることができました。
いつもの茶色の囚人服で出て来た児玉さんはやや表情も堅く息を飲み込みながら、口を開きました。「おとといの、ー
田中さんの、ーー」
わたしは、「あっ、児玉さんはまだご存じなかったのか道理で、神妙な顔で現れたんだな」と思い「コダマさーん、判決はねえ、」
かすかな間をおき、目が合った瞬間児玉さんの顔つきに不安の影が走りました。そこにかぶさせように、わたしは声を張り上げました。
「無罪、完全無罪 !!!」その途端です。児玉さんは、ウ、ウ、ウオーッと言葉にならない動物の叫びみたいな声をあげました。
「嬉しい、うれしーい」と声を絞り出しながらみるみる目が真っ赤になり、大粒の涙がぽたぽたまるで、失礼ですが動物園のゴリラのように、おりの金網をゆさゆささせるのです。それを見てハヤシショウジさんも、わたしも、大阪からきた女性も泣き笑いとなりました。
「こんなに嬉しいことはない。ありがとう、ありがとう、あんた気が狂ったんじゃないの、と言われてもいい、飛び跳ねてそこいらじゅうを踊りまくりたいくらいですよ」
実はねえ、判決の前日からこの三日間、心配で眠れなかったんですよ。喜代美さんたちから、裁判の見通しは大丈夫と聞いていたから、それを信じていたけど、なにせ相手はあのアメリカだし、なにをやらかすかと怖くてねえ、眠れないんです。ほんとに、でも良かったアーッ」
「自分のこと以上に嬉しいです。兄貴分のわたしはこうしてまだつながれているけど、偽ドルのことではもう弟は潔白が証明されたんだから。わたしのことはいいんです。自分でも、ダメな兄だったと思ってますよ。だって、アメリカに拷問みたいなことずうっとされたとき、弟を守り切れなかったんですから。」
傍若無人な米国シークレット・サービスの脅迫、拷問で毎日責め立てられ、児玉さんは「この苦しみから逃れることができるなら、嘘でもかれらのいいなりになるしかないか」という気持になったんです。その敗北を悔やみ続けているのです。でも、それを誰が責めることができるでしょうか。
米国のつくりあげた「児玉陳述書」に、一行だけ「わたしはハヤシヒロアキというひとから偽ドルを受け取りました」と書いてあります。これは1996年2月23日のことです。それから丁度40ヶ月目、屈強に容疑を否定し公判をたたかったハヤシ(タナカさん)は無罪となり、巻き添えをくった児玉さんはいまも「偽ドル犯」とされているのです。
並の人間なら、「あいつはハイジャックやった国際手配の人物だったことをオレに隠して近づいてきた。あいつを信用して一緒にビジネスを始めたというだけでオレの人生メチャクチャにされた」と怒って当たり前なのです。たとえばなしですが、もしも、児玉さんが本当に田中さんらと偽ドルをやっていた仲間だとしたら、こんなにもからだいっぱいに喜びを表すことが出来るでしょうか。生身の人間、そこまで感情も表情もコントロールできるでしょうか。いえ、絶対できないと思うのです。
児玉さんの無実をはらすどんな道も残ってはいないのだろうか、わたしはいま一所懸命考えています。タマサート大学出身のサンティ弁護士さんもアドバイスして下さっています。このせちがらい世の中で、児玉さんのような豪傑で正直、義理人情に篤い日本人は少なくなっているのです。
児玉さんの開放的な喜びぶりを目の当たりにして、こんなひとを、なんとかしてあげたいという気持はさらに募ってきました。わたしがこの裁判にかかわった一番の動機は、児玉さんとそのご家族の窮状を知ったことにあったからです。
田中さんは無罪となっても、児玉さんは救われていません。ニュース・バリューは確かにちがうでしょうが、人間の価値はいっしょです。マスコミのひとがニュース・バリューしか見れない人間になってしまったら、それは悲しく情けないことではないでしょうか。
つかの間の面会時間が過ぎて房にもどっていくとき、児玉さんは天に向かって両手いっぱいの「投げキッス」を何度もしながら消えていきました。わたしたちの別れはふたたび泣き笑いとなりました。