サンデー毎日 - 96/11/3 -
怪人物の濃厚自伝
「宮崎、知ってる?」いつだったか忘れたが、大学時代からの友人の呉智英に聞かれたとき、私は「誰、それ?」としか答えられなかった。全然知らなかった。だから、そのあとの呉智英の話にはビックリした。私たちとまったく同じ年に同じ大学に入学した中に宮崎学という奴がいた。
●彼は京都のヤクザの”ぽん”で、入学してからは民青の武闘派として大あばれしていた。
●その後は京都に戻ってしばらくなりをひそめていたが、84年から85年にかけてグリコ・森永事件が起きたとき、警察からまっさきに犯人(いわゆる"キツネ目の男"かい人20面相として容疑をかけられた。知り合いの呉智英でさえ、「あれだけのことができる男は宮崎ぐらいのものだろう。腕力・知力・胆力・人望すべて併せ持っている奴だもの」と思ってしまった−−と言うのだもの。
ふうん……そうだったの。あのころ(1960年代後半)のあそこ(早稲田大学)に、そんなとんでもない野郎、いやいや、凄い人物がいたの。それも、よりにもよって民青に。私は高校時代から反日共系左翼(つまり新左翼)だったから、日共民青はてんからなめてかかっていて、接触無く暮らしていたので 民青にそんな強力な"武闘派グループ"が存在していたことすら知らなかった)、宮崎学なる人物のことは全然知らなかったのだ。前置きが長くなった。とにかくその怪人・宮崎学が本を出した。『突破者−戦後史の陰を駆け抜けた五○年』(南風社)という本である。
さっそく読んだ。
いや−、面白いのなんのって。凄い、濃い、激しい。おまけに何とも言えずおかしい、ユーモラスなところさえある。生まれてから今に至るまでの自伝なのだが、文章だの文体だのがどうのこうのではなくて、ここに記録された著者の境遇や体験そのものが面白いのである。圧倒的なのである。
こまかいエピソードが面白いので、みなさんにはぜひともじかに読んでいただきたいのだが…何と言ってもこの本の特異なところは、この国の,底辺(貧苦と差別に支配された世界)を基盤として持つヤクザの世界と、いちおうはインテリということになっていた学生運動の世界、この二つの世界が、宮崎学という一個人の中でがっちりとりリンクしたところだろう。著者はその二つの世界のまん中の、両方をよく見渡せるところに立っている。二つの世界の美点も弱点もよく見えている。ヤクザの世界を貫く「徹底した身内、あるいは身贔屓の論理」も、学生たちの「甘ちゃんぶりも、両方よくわかっている。それがこの一個人の団塊世代史=戦後五十年史に、ちょっと他の人間には描き出せないような重みと厚みを与えている。最初に書いたように、私はたまたま同じ時期に同じ大学にいたので懐かしいところがいろいろあったのだが、そういうことを抜きにしても、読みごたえのある本だと思う。前半はヤクザと学生運動の話、後半はバブル時代の話が中心になる。圧倒的に前半が、情が濃くて、面白い。
「恥を知れ!」という時代
ちょっとごめんなさい。ごく私的な話になる。この『突破者』にも書かれているとおり、早稲田の学生運動も私が入学した頃はまだまだ牧歌的で人情も道義もあったのだが、すさまじいいきおいでセクト色が強まり、卒業するころは「内ゲバ」でめちゃくちゃになっていた。大学に入ったときと出たとき、四年間の入り口と出口では時代の空気がまったく違っていた。私が『突破者』を読んでいて、「あはっ」と吹き出したのと同時に、目からフッと涙も噴き出したので自分でもおかしかったのは、その、牧歌的な時期(入学した年に授業料値上げ反対闘争があった)の話だ。
「(その頃はまだ)活動家そのものが古風な連中が多く、殴り合いをするにも素手であって、武器をもつのを卑怯として嫌がった」「確か本部に体育局の連中がスト破りにきたときに初めて棍棒をもったというのだが、そのときでも双方が梶棒を正眼に構えて対峙しながら"恥を知れ" "お前らこそ恥を知れ!"と時代劇のような文句を叫んでいた」
という一節に、私は笑うと同時に泣いてしまったのだ。「時代劇のような文句」ね。そうだなあ、そういうところあったなあ、私は一貫して「活動家諸君」には近づかないようにしていたから、よくわからなかったけれど。「卑怯」を嫌う、この古風さは私は好きだ。いいところもあった、と思う。(この三十年後には、サリンだの細菌兵器だのという、とんでもなく匿名的で、体を張らない…卑怯千万の武器が使われる世の中になったのだ)
この一節のあとは、こう続く。「活動家と教授や職員の関係にしても、まだ身内意識のようなものがあった。現に、逮捕された共闘会議メンバーの裁判では多くの教職員が被告の減刑を嘆願しているし、被告を救うためにあえて偽証までした職員もいた」。 こういうことを書いてもあの頃の早稲田にいた人にしか通じない話なので詳しくは書かないが....共闘会議議長の大口昭彦さんにかんするくだりは、まったく同感だった。大口さんのその後(京大に入り直して弁護士になり、組合関係者や貧しい人びとの力になっている)を語るとき大学時代の友人たちは、晴れやかな笑顔になる。
『突破者』のような本を読んでいると、自分がいかにのほほんと生きてきたかを思い知らされる(昔はそのことを引け目のように感じていたが、今はちょっと違う。引け目に感じるのはかえって、”甘ちゃん”だと思う)。
私は著者とは対照的に、キレイゴトの世界で育った。世の中にたいして、社会にたいして、大人たちにたいして大きな不満を抱いていたが、その不満は漠然としたもので、具体性に欠けていた。大学時代は自宅から通っていたので、いつも自分の心の中に二つの焦点があって(1. 2000人の先鋭がいれば革命は起こせる−−といった言葉が日常会話として飛び交うような学生たちの世界と 2. それなりに楽しく平和な家庭)、通学コースのまんなかへんのA駅あたりで、私の頭は∞形にねじれ、ほとんど別のモードに入って行くのだった。毎日、頭の中は∞運動を繰り返していた。 この、ほとんど別世界のもの同士を自分の中でどう折り合いをつけて行くかということと、それから自分の不満に,どうやって具体性を与えて行くかということ−−それが「あのころ〕の私の悩みのタネだったような気がする。『突破者』の著者が東大にまで出張ってあばれていた頃、私はいじいじと悩んでいた。
サンデー毎日 96/11/3
満月雑記帳より文 / 中野 翠