これらの書評諸子に感謝する。なにより、刑務所でベストセラーのトップになった、というのは書評以上に、プロ筋に高い評価?を受けておる証拠やでえ。塀のなかからの読書感想文を期待しとるで。(3/20 宮崎)


地上げ屋として生きた札びらとドンペリの日々

久間十義の面白本箱(スポーツニッポン 1/27/99)

あのベストセラー「突破者」が帰ってきた。突破者・宮崎学と言えば、「キツネ目の男」か?と世間を騒がせた快男児。その波瀾万丈の半生を綴った「突破者」が出版されたのが、まる2年前。続編の本書(徳間書店)はズバリ、彼が地上げ屋として生きた、80年代後半から90年代初めの「バブルの日々」を描いている。

突破者から2年 

筆者の経歴を簡単に述べれば、ヤクザの組長の父と博徒の娘を母に京都で生まれ、高校時代に左翼に目覚める。都の西北・早稲田大学では日共系ゲバ組織「あかつき行動隊」の現場責任者として大暴れ。

その後、週刊誌の突撃記者としてならし、京都に戻って解体業を継ぎ、傾きかけた家業の再興のためにむちゃを行うが、奮闘むなしく倒産。ゼネコン恐喝事件で京都府警と渡り合い、ついには「グリコ森永事件」が起きるや、官憲から重要参考人扱いされた、という何ともビィユーティフルなもの。

バブル経済については、「突破者」でも「野郎どもとバブル」の章がそれを扱ってはいた。だが著者は本書では、その血の跡も生々しい「札びらとドンペリ」の日々をより具体的に語る。

ケース・スタディーその1は、東京都千代田区神田神保町の東洋キネマ跡地を中心にした800坪(990平方メートル)の地上げ。

名うての事件師、仕事師、白詐欺、黒詐欺、企業舎弟に悪徳弁護士・・・。まさに魑魅魍魎が群がったこの東洋キネマの地上げに、著者はしびれるようなギャンブルの快感を覚えて参戦した。

ときのバブルの紳士たちといえば、銀座・赤坂・六本木の高級クラブでホステス1人に10万円のチップを配って、テーブルにつけばヘネシーやドンペリを何本も景気よくあける。寿司屋に入れば白木のカウンターに座るや、100万円の札束を板前にぽんと投げて「一番おいしいもんを食わせてくれや」。

土日の競馬では1日に2億円や3億円の金をかけるのもざらだったし、「おみゃあよう、一発やらしてくれたら、ベンツかったるでよぉ」とホステスを口説いて、一晩のベットの代償として本当にベンツSクラスの新車を一台プレゼントする者もいた。一億5千万円はするダイヤをあっさり手にする手合いもいた。

もちろんその内実は、不正融資あり、印鑑偽造や、脅しすかしの訴訟合戦あり。裏も表も社会が入り乱れてのカネの  したたかな老舗の地権者たちとの丁々発止2、著者は神保町の土地を買いあさるうち、次第にバブルの構図に明るくなっていった。

そしてその余勢をかって向かったのが、群馬県吉井町のゴルフ場建設にまつわる地上げ。著者はそこで、まさに強欲な地元の「たくしまき農民」たちに接待攻勢をかけ、、贈収賄こそが主道の土建行政にどっぷり浸かった官吏や田舎政治家に何億というカネをつぎ込んでは、競合するヤクザや総会屋と渡り合った。

だが、こうした課程でなんといっても読者を驚かせるのはカネの亡者ともいうべきバブルの弁護士と、その弁護士にやりたい放題食い物にされた江東区木場の、5200坪(1万7160平方メートル)の土地持ちばか社長の、信じがたいエピソードか。

これら読み出したらやめられない逸話のおもしろさの中で、著者はバブルの傷を自らの痛みとともに検証する。あのとき人は、金にひざまずき、金を追求することで何を捨て、何を得ようとしていたのか?あのバブルの一種強烈な解放感とその後に続く「現在」を本書とともに考えるのは、実に刺激的な体験だ。



 バブルに踊る人間映画見ているよう 評者・中野翠

 

一九九六年秋に出版された『突破者』(宮崎学著、南風社)はずいぶん話題になったので、ここでくどくど説明する必要はないだろう。

 敗戦の年に京都のヤクザの「ぼん」として生まれ、早大在学中は共産党系非公然組織の武闘派、グリコ森永事件では一[キツネ目の男」と疑われた男の半生記。それはそのまんま、戦後昭和史のダークサイドにかんする生々しいリポートになっていた。

 今回の『突破者それから』ほその続編。八○年代後半、薯者が凄腕の地上げ屋として立ち回っていた時の話である。実を言うと、私はこの本の半分しか理解していないと思う。何しろ印鑑証明とか登記薄と聞いただけで頭が痛くなる人間なので、錬金術めいた難しい話は雑に読み飛ばしてしまった。それでも十分面白かった。何と言っても、群像に圧倒される。唸る。あきれる。地上げする側が強欲でしたたかなのには驚かないが、地上げされる側も相当なものなのだ。

 パブルに踊る人間地上げに応じて大金をせしめた東京・神田神保町のある老店主のセリフが、[庶民」の一側面を象徴していて印象に残る。

 「宮崎さん、いまの時代って、戦争の頃と一緒だな」「つまりさ、興奮するってことだよ。あの頃はな、いつ空襲がくるか、女子供はみんなびくびくしてたけど、男連中にはお祭りみたいにうきうきした気分もあったんだ。それに終戦後しぱらくは、俺だって闇商売でしこたま儲けたしな」。

 資本主義経済の「業」について考えさせられるところも多かったが、やっぱりヒトゴトの感じもあり、映画を見ているような気分になってしまう。そして、本書の準主役とも言うべき守銭奴弁謹士Kは案外、島田紳助がいいかな、Kに徹底的に食いつぷされる木場のだんな旦那Mには岸部シローがぴったりだ、こわもての不動産屋Kはガッツ石松、神保町の商店主の中にはぜひともなぎら健壱を……と、ついつい配役まで考えてしまうのだった。(コラムニスト)

朝日新聞 2/28/99 朝刊 「読書」 より

 

 

 

日経書評

バブルという狂気なまなましく


表と裏の経済を行き来してきた経験を持つ薯者の書く物には、追随を許さないリアリティーがある。本人の体験が、多くは実名をもって語られるからだ。これはデビュー作「突破者」以来の手法である。本書の舞台はバブル期の東京・神田神保町と群馬県・吉井町。テーマは「地上げ」。細部の描写に多少の配慮が施されているとしても、実録で

あるから当時の等身大の経済がそこにはある。しかも、目をそむけたくなるような欲望と恐怖に満ちた実像が。著者は都心の映画館跡地、過疎の町のゴルフ場用地買収

を依頼されるが、、その顛末(てんまつ)は、バブル期に土地神話の中を泳ぎ回った経験のある人には既視感があっても、そうでない一般の人間の想像の及ぷところではない。

銀行やゼネコンの動きが生々しく描かれる。だまし合いは当たり前、脅しも当然、奔流する膨大なカネを途中で抜き取ることなどは日常的、政治家の相も変わらぬ金権体質。本書の中で薯者はエセ同和や右翼、果ては広域暴力団の下部組織まで利用したことを明らかにす、る。そして、既に時効になった自らの贈賄工作についても語るのである。工作対象の自治体首長とのやりとりから、

その厚顔と欲深さが浮き彫りになる。このくだりは驚きの後に悲しみを誘う。なぜなら、バブルという狂気を生み、やがて破たんへの道をたどった日本人の素顔をあぶり出すからである。終章で資産家を食い物にし、やがて零落する弁護土の人物像が克明に描かれる。これも、とてつもなく悲しい。今日の不況が必然であったことが、この本を読めばわかる。痛いほどに。
徳間書店一、六〇〇円。

【日本経済新聞 99/1/24朝刊書評】


おかげさんで年開けてから売れ出した。今日、3刷りまででて4万部ぐらいかな。

日経ビジネス、という雑誌には「ビジネス書」で紹介されてた、ときいた。ビジネス書ねえ...まあ、違いないか