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タイにおける偽ドル事件裁判の概要
Litigation
on the Counterfeit US Dollar Bill Incident in Thailand: A SUMMARY
1999年01月07日 山際永三
1998年12月17日の公判では、児玉章吾氏の証言が終わり、田中義三氏の弁護側は、
指紋鑑定などに関する新たな証人申請を行ない、採用された。両氏の無実はいよいよ
明らかになってきたと言える。
われわれ両氏の支援者は、これまでの裁判資料を分析し、独自の調査を行なってき
た結果、事件がアメリカ財務省シークレット・サービスを中心とするでっち上げであ
ることを確信している。
両氏が原告となって日本のマスメディアを名誉毀損で訴える民事訴訟は、当面「テ
レビ朝日」(ザ・スクープ)および「日本電波ニュース社」(虚報番組制作会社)お
よび「高世仁」(同番組責任者)の三者を相手に進められているが、問題の番組『北
朝鮮の闇-ニセドル“スーパーK”の謎を追う』が、いかにアメリカSSか
らの情報を鵜呑みにして、当然判明していたはずの事実を無視し、調査すべきことも
せずに制作され、北朝鮮バッシングの社会的風潮に悪のりした商業主義番組であった
かが、ますます明確になってきている。
1.事件の発端
1996年1月2日に、タイ南部のリゾート地パタヤ(ベトナム戦争時代にアメリカ
兵の休養地だったところ)のフォト・ショップで営業している無認可両替店で、アメリカの
100ドル札90枚がタイバーツに両替されたという。その両替商は、あとに
なって知人からその 100ドル札が偽札だと指摘されて、両替に来た二人のタイ人を
探し出したところ、デイナイト・ホテルのガードマンであることが判明し、1月5
日になって警察に訴え出て、二人のガードマンが逮捕された」ということになっ
ている。
これが、合計七人となる被告人(児玉氏は分離裁判で実刑2年半が確定し再審請
求中、現在田中氏を含む六人が裁判進行中)に対する“外国通貨所持・行使/詐欺”
という起訴事実になるわけだが、さまざまな疑問点が浮かんでくる。
タイでは偽ドルは珍しくなく、けっこう流通さえしているというのに、この両替
商はどうして偽であることに後日になって気づいたのだろうか? どうしてそのま
ま流通させてしまおうとはせず、わざわざ損を覚悟で警察に届け出たのだろうか?
偽札であることを知人に指摘されたというが、その知人が誰かは明らかにされてい
ない。二人のガードマンは、90枚の 100ドル札を三回に分けて同じ日に両替したと
いうが、当初は外国人に頼まれたと供述していたという。外国人が、相当の大金を
ホテルのガードマンに両替させるだろうかとの疑問が生まれる。二人は、あとでは
実はホテルの営業マネージャーに指示されたもので、偽札であることは知らなかっ
たと供述を変更するのだが、不自然さはまだ残る。デイナイト・ホテル自体、あと
で両替商になにがしかの金を支払って事件のもみ消しを図ったともされており、い
ずれにしろ、事件の発端そのものに多大な疑問があって、現在までのところ解消さ
れていない。
二人のガードマンが逮捕された後、2週間くらい、パタヤ警察の捜査は進展して
いなかったように記録されている。二人が、偽札であることを知らないで両替を頼
まれただけなのであれば、頼んだ上司への捜査が進展しないまま2週間も経過する
のはなぜか? 全く逆に、二人が両替したドルは真札であって、事件はすべて後で
作られたという可能性もないわけではない。
2.アメリカSSの介入
東南アジア、とくにカンボジア方面から各国に流入するといわれている偽ドル札
について、アメリカは神経を尖らせており、タイのアメリカ大使館にはSSの担当
者が常駐している。中国系アメリカ人やタイ人をアメリカで教育して大使館付きの
捜査官にして、各国警察と協力関係をつくって来たという。協力関係といっても、
明らかにアメリカがヘゲモニーをとって積極的に偽札摘発をおこなって来たのが実
情だ。アメリカは、 100ドル札の印刷を新型に切り換えた時期で、その新型ドル札
の説明を兼ねて偽札摘発の技術的講習をタイ警察に行うため、ワシントンからSS
の偽札摘発部門の責任者がタイにやって来たという。それが、1996年1月18日とさ
れている。
そこで、タイ警察側から、パタヤでの偽札行使事件のことを知らされ、SSが動
きだしたことになっている。
SSは、二人のガードマンに会おうとしてチョンブリ刑務所(パタヤはチョンブ
リ県にある)に行ったが、すでに一人は保釈されていたという。SSは独自に調査
を始め、ガードマンの二人は偽札であることを知らずに頼まれただけという供述に
基づいて、この二人は無罪になるべき者だから保釈してほしいという趣旨の書類を
チョンブリ裁判所に提出している(2月2日付)。捜査の途中で、まだ共犯者の全
部が逮捕されていないうちに、二人が無罪だと断定するSSの態度は奇妙というし
かない。
二人の身柄を確保したSSが、この二人にどういう条件で何をさせたのか詳細は
不明だが、いずれにしろSSが介入したあとになって、この二人に両替を指示した
というホテル営業マネージャーが逮捕される。ホテルのマネージャーは、すでに欠
勤を続けており、ホテル支配人が捜し出して電話で呼びつけたというような証言も
残っている。一方、パタヤ警察の捜査官がデイナイト・ホテルに行くと、そのマネ
ージャーが自分の事務机で新聞を読んでおり、その新聞の下に5枚の 100ドル札が
あって、それは偽札であり、かつ、そのマネージャーの自宅から80枚もの偽 100ド
ル札が発見されたという証言もある。ところが、この5枚と80枚の偽ドルに関して
は、 100キロ以上も離れた場所で、同じ日同じ時に同じ警察官によって摘発された
という決定的矛盾をもつ書類も作られており、どちらかがでっち上げであることが
明白だ。検察側の証拠・証言の信憑性をくつがえすものとなっている。
ちなみにこのマネージャーに関して、5枚の偽ドルは別に起訴されたが、その裁
判は検察側のサボタージュによって停滞しており、80枚の所持については起訴され
ていない。日本では考えられないことだが、この80枚など共犯者たちが所持してい
たという偽札は、証拠品になっているがすべて起訴されていない。起訴になってい
るのは、パタヤでの90枚の「行使」だけ、そしてその“いもづる式”「共同謀議」 だけなのである。
3.“いもづる式”捜査
ホテルマネージャーの逮捕後の供述記録は、1996年1月24日付だが、実際はもっ と前、1月21日頃には逮捕されたと考えられる。彼は、アメリカSSが宿泊してい
るホテルに監禁されたらしい。妻も監禁された形跡がある。彼は、ホテル8階の窓
から外壁をつたわって逃げようとして再び捕まってしまった様子だ。後述のとおり、
児玉氏に対するアメリカSSの拷問は相当のものだったから、ホテルマネージャー
に対しても拷問があったことが十分に推測できる。彼は、偽札とは知らずに知人の
N氏からドル札を受け取って両替させたと供述した。
アメリカSSの捜査は、適正手続きを無視した強引なものだ。アメリカ財務省の
シークレット・サービスは大統領警護で知られているとおり、通常の警察以上の権
限をもっているという。アメリカの象徴(紙幣)を守るためには何をやってもよい
とされ、すべては秘密のうちに行われるのが当然ということのようである。今回の
一連の捜査でも、タイ・カンボジア警察との協力を建前として、書類上も協力依頼
のようなものは一応なされたことになっているが、実際にどうであったか、関係者
に聞いてみると、ほとんどSSが前面に出て強引な捜査をやっており、書類は後で
作られた形跡がある。タイ警察や日本大使館には情報を与えず、アメリカの都合で
事を運ぼうとさえした。SSが強大な権限をもっているといっても、各国の主権と
は当然ぶつかるはずなのだが、一応の形式だけは整えたかたちで、チョンブリ地裁
での裁判は続けられてきた。
テロリスト対策などと称して、ICPO(国際刑事警察機構)とか、条約による
司法共助とか、はたまた国連の各種委員会レベルなどで、とかく警察の国際協力と
いう大義名分が罷り通る時代であるにしても、それぞれの国の法律があり、また、
さまざまな国際人権条約があり、アメリカはその“人権”の旗頭を自認して他国を
恫喝してさえいるにもかかわらず、自国のSSが途上国で人権・法律無視の拷問捜
査をやっているのだから、これほどの欺瞞はない。
ホテルマネージャーは、アメリカSSに協力を誓わされて、1月24日に盗聴用無
線機を身体につけさせられて、しかも百枚近くの偽ドル札を持たされて、知人のN
氏の家(バンコクのドンムアン空港近く)に案内させられた。そして、その偽ドル
札をN氏に渡そうとしたというのである。N氏の家族があわてて、その偽ドル札を
破ってトイレに流したところに、SSはピストルをふりかざして押し入って来て、
トイレのコンクリートを壊して破れた偽ドル紙幣を押収していった。ところが、そ
の日にはN氏は逮捕されていないのである。破れた80〜90枚の偽ドル札は、証拠品
になっているが、この偽札の「所持」では誰も起訴されていない。当然だろう、S
Sが持ってきた偽ドル札なのだから。
N氏については、1月25日に逮捕状が出たことになっている。2月の初め、バン
コクの北方スリン県という農村地帯にある妻の実家に行っていたN氏は、タイ警察
によって連行され、警察ではないところに監禁され取り調べられた。
N氏は、2月7日になって正式に逮捕されたことになっている。N氏の場合、妻 も監禁され、妻を釈放してほしかったら協力しろ、アメリカに連行すると脅迫され
た。2月12日付のN氏の供述書によると、N氏は自分のかつての雇い主であるR氏
と、その知人であるコダマ氏の名前を出している。1995年の11月ころに、R氏とコ
ダマ氏からドル札を預かり、パタヤの知人に両替を依頼したという内容である。
N氏も盗聴用無線機をつけさせられ、R氏と会ってドル札の話を持ちかけようと
し、警戒したR氏が車で立ち去ろうとした時に、N氏は偽ドル札の束をR氏の車に
投げ込んだという。当然SSは、そこでR氏の身柄を確保したのである。しかし、
R氏の逮捕は書類上では後日となっている。
R氏は、カンボジアにいるコダマを呼びつけろ、協力すればビジネス上の利益を
保証してやるなどと脅迫されたという。
4.児玉章吾氏の逮捕
カンボジアのプノンペンにいた児玉氏に、バンコクのR氏から電話してきたのは
2月8日だった。児玉氏は、ちょうど9日にバンコクを経由して日本に帰る予定だ
ったので、9日にバンコクの空港でR氏と会う約束をした。それが、児玉氏にとっ
て、晴天霹靂の悪夢となるのである。
9日、空港でR氏は盗聴用無線機をつけさせられ、児玉氏を迎えた。ドルの話に
なるまでもなく、異様なR氏の言動に児玉氏が奇異を感じた時に、大勢のSSなど
(タイ警察も混じっていたのであろう)に囲まれてしまった。連行されたところは
警察ではなく、ホテルでもなかった。SSの秘密のアジトなのであろう。児玉氏と
空港で待ち合わせていた別の知人も連行されて、酷いめにあったという。その人は
即日釈放された。
SSは児玉氏のパスポートをはじめ全ての所持品を押収した。その中には四千何
百ドルかの米ドルもあったが、偽ドルではなかった。SSは、所持品の中にあった
写真をもとに、写っているのは誰なのかを尋問してきた。その写真のなかに、「ハ
ヤシ」こと田中義三氏の写っているものがあった。児玉氏は、「ハヤシ」とは意気
投合して事業を一緒にやっていたので、「ハヤシ」が「よど号」の田中とは知らな
かった。
SSは、「ハヤシ」をタイに呼び寄せろと要求した。協力しなかったらハワイに
連行して生涯獄中生活をおくらせてやる、日本の家族の生活、お前の商売をメチャ
メチャにしてやる、お前は死ぬのがこわくないのか・・などと脅迫した。
SSは、児玉氏から得た情報を追って、翌2月10日または11日にプノンペンに主
要なメンバーを送り込んでいる。プノンペンの児玉国際貿易株式会社の事務所にS
Sがやってきて、強引に入り込んだ。「ハヤシ」こと田中氏が応対し、SSは携帯
電話でバンコクの児玉氏と「ハヤシ」に会話をさせ、それを盗聴・録音していた。
そのテープのコピイは裁判の証拠とされて、当初は偽ドルについての会話だったと
されていたが、法廷で聞いてみると、日本語で児玉氏が、バンコクでトラブルにな
っており、「ハヤシ」もバンコクに来て協力してほしいといったことを会話してい
るだけで、偽ドルの話など全く出ていないしろものだった。しかし、このSSの訪
問は、「ハヤシ」こと田中氏にとっては、偽ドルどころか、ハイジャックのことで
国際手配が及んできたかと危機感をつのらせる出来事だった。SSの証言によれば、
「ハヤシ」はパスポートを探してくると言って席を立ち、そのままプノンペンのい
ずこかへ逃走してしまった。
SSは「ハヤシ」に逃げられて、とんだ大失敗ということになったのだが、あと
から、実は、「ハヤシ」が逃走した後、児玉国際貿易の事務所を捜索し、事務机の
引出しの中から、大量の偽 100ドル札を発見した繙繧サの1239枚といわれる札束の
中には、1枚だけ真札があり、またその真札を除く1238枚のうち6枚から指紋が検
出され、その6枚のうちの1枚から1個だけ、「ハヤシ」こと田中義三の指紋(右
人指し指)と一致する指紋が検出された繙繧ニし、その指紋を唯一の物的証拠とし
て「ハヤシ」をタイ・チョンブリ地裁に起訴するに至るのである。
この引出しの中のドル札については、あとの証言で、一人のSSは「ハヤシ」の
逃走後再び携帯電話でコダマと話をしてコダマが引出しにあるはずだと言ったので
捜索・発見したと言い、別のSSは、バンコクでコダマからあらかじめ引出しの中
のドル札について聞いていたので捜索・発見したと言い、大きな矛盾をきたしてい
るが、いずれにしろ、押収の手続き書類は残されておらず、現場検証の記録なども
ない。裁判が始まってから、その1239枚の札や指紋検査結果などがチョンブリの検
察官から裁判所に提出されたのである。「ハヤシ」の指紋カードを含めて、偽ドル
札からの検出指紋にも多大の疑問点があるが、これは別に論ずることにする。
SSは、プノンペンの児玉国際貿易から「ハヤシ」を取り逃がした後、この「ハ
ヤシ」が「よど号」の田中義三であることに気づき、いろめきたつことになる。ち
ょうどアメリカが外交交渉の中で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対し、「よ
ど号」メンバーを日本に送還せよと要求を出していた時期だった。SSは、「ハヤ
シ」を北朝鮮バッシングの材料として使えると踏んで、強引に逮捕しようとする。
バンコクの児玉氏に対して、SSの取り調べは過酷を極めた。児玉氏は、身体や
腕などにコイルのような電気装置をつけられて、電気を流されたという。それは、
感電して苦しいというよりは、じわじわと神経がおかしくなるような拷問で、児玉
氏が、これは何だと尋ねると、嘘発見器だと答えたという。この電気にかけられた
結果、児玉氏は精神的におかしくなっていった。下痢もひどかった。孤立無縁の中
での無力感・恐怖感・絶望感が増幅し、どうにでもなれという投げやりな気持ちに
もなったという。児玉氏のこうした精神状態は、その後も長く続くことになる。
書類上、児玉氏とR氏の二人は、「ハヤシ」がプノンペンで逃走後の2月13日に
バンコクのホテルの前で逮捕されたことになっている。
裁判には、R氏の供述書一通と児玉氏の供述書として三通が提出されている。R
氏のものは書類上の逮捕当日2月13日付で、コダマから「ウオン」という男を紹介
され、その「ウオン」からの偽ドルを部下のN氏に両替させたという内容である。
児玉氏の供述書は、2月13日付のものに「ハヤシ」の名前は出てこず、「ウオン」
から偽ドルの話を持ち込まれ、タイのR氏およびN氏に取り次いだという内容にな
っている。2月15日付の追加供述では、「ウオン」の他に「タン・トーホック(ロ
ンニー)」そして「ハヤシ・カシノリ(シロカギ)」なる人物の名前が出されてい
る。もうひとつの児玉供述書は、2月23日付で、児玉氏が自分はタイ語がわからな
−5−
いというので、ハワイから呼び寄せたSSの通訳が日本語をローマ字で書いて児玉
氏に署名させたというもの。そのローマ字の日本語に、タイ語の訳をつけたものも
出来ている。これは、「ハヤシ・ヒロアキ」「ウオン・リ」が偽ドルの話を持ち込
んできて、タイのR氏およびN氏に取り次いだという内容。
なお児玉氏は、1998年10月と12月の田中氏らの法廷での証言において、これらの
供述書を全面的に否定した。
また、注目すべきことは、例のプノンペンの児玉国際貿易の机引き出しから発見
されたという1238枚の偽 100ドル札のことは、これらの児玉氏供述書には全く記載
がない事実である。児玉氏への取り調べの中でも、その話は全く出なかったという
のだから目茶苦茶である。
アメリカのSSから、ひどい拷問を受けて何通かの供述書をとられた児玉氏は、
身柄をパタヤ警察署、そしてチョンブリ刑務所に移された。2月27日になって、日
本から駆けつけた児玉氏の息子さんの奔走もあってか、タイの法務当局は、児玉氏
に関して証拠はないという判断をして釈放した。SSは、児玉氏の釈放を知って非
常に怒ったとのことだ。
児玉氏は、旅券返還も受けられず、1年3か月後に再逮捕されるまで、タイ国内
で苦しい潜伏生活をよぎなくされる。
5.田中義三氏の逮捕
1996年2月初旬にプノンペンで姿を消した「ハヤシ」こと田中義三氏を追って、
アメリカのSSは捜査を続け、カンボジア内務省にも根回しをしていった。
3月24日になって、プノンペンの北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)大使館から
車でベトナムに脱出しようとした田中氏は、国境で押さえられ、翌25日プノンペン
に引き戻されて身柄を拘束される。共和国大使館は、田中氏を引き渡す理由がない
と抗議したが、カンボジア内務省は強硬で、どうにもならなかったらしい。
この逮捕は、国際法上、違法性が強いが、一応はカンボジア警察が行ったことに
なっており、タイのパタヤ偽ドル行使事件での逮捕状も用意されていたことになっ
てはいる。しかし、実際の書類の整合性(バックデートは十分に考えられる)、ま
た国際法上の問題点などについては、徹底した検証が必要だ。
26日には、田中氏はバンコクのドンムアン空港に移送された。アメリカSSは、
田中氏をそのまま直接アメリカに連行する構えだったが、それがいくつかの事情で
果たせず、田中氏の身柄をタイに預けることになった。だが、それ以降しばらくの
間、アメリカに連行して裁判にかけるか、ハイジャック犯人として日本に移送する
か、タイで偽ドル犯として起訴するか、三つの選択肢をめぐって大きく揺れた形跡
がある。
田中氏は、アメリカのSSがカンボジアやタイではどんな非合法なことでもやる
という権力の横暴さを実感し、命の危険さえ意識したという。しかし、彼は供述書
などは作成させなかった。27日にはパタヤ警察署に移送された。ここで、彼は「ハ
ヤシ」のままでは物理的に抹殺されてしまうかもしれないと考えて、パタヤ警察署
内で顔を合わせた日本のテレビ局記者に、自分が「よど号」の田中義三だと名乗り
出たという。
「よど号」の田中義三氏逮捕が、世界に報道された。当時の報道によれば、田中
氏はプノンペンでビジネス活動をしており、その協力者は日本国籍を持つ華僑の、
かっこ付き「児玉章吾」であり、行方不明となっている。北朝鮮の偽ドルをマネー
ロンダリングするための活動をしていたのではないか繙繧ニいうもので、児玉氏に
ついては何か怪しげな人物という報道のされかただった。
結局田中氏は、チョンブリの検察官によってパタヤの90枚の偽ドル行使/詐欺事
件で起訴され、5月にはホテルガードマン二人の事件との併合が決定し、田中氏は
裁判の中ではあくまでも「ハヤシ」こと「被告3」と呼ばれることになった。ホテ
ルマネージャーが「被告4」、前記のN氏が「被告5」、同じくR氏が「被告6」
である。田中氏以外の被告人は、すべて保釈された。裁判は、1996年5月24日第1
回公判、6月14日パタヤ事件の被害者・両替商の証言から開始された。
6.児玉氏の裁判
田中氏らの裁判開始から一年後の1997年6月6日に、児玉氏は、またもやアメリ
カSSによって再逮捕される。
児玉氏は、移送されたチョンブリ刑務所で1年4か月ぶりに田中氏と再会、生き
て会えたことを喜び合った。田中氏は、当時の児玉氏について、精神的に異常では
ないかと感じたという。それほどに児玉氏は抑圧されつづけたのである。
児玉氏は、潜伏中にテレビで田中氏の逮捕を知り、しかもハイジャック犯人であ
ることを初めて知って、非常に驚いたという。
児玉氏は、弁護士も通訳もなく、本人の発言の場も与えられずに、判決理由の説
明もないまま即決裁判で、7月23日に懲役2年半の判決を受けた。弁護士や日本大
使館の援助も全くない状態のなかで控訴の機会も失い、確定してしまった。
1997年8月14日になって、児玉氏は再審を請求している。そして9月11日には、
検察側証人として田中氏の公判廷に呼ばれたが、児玉氏は断固として証言を拒否し
た。その直後から、児玉氏はチョンブリ刑務所からバンコク中央刑務所に移送され
て、田中氏とは連絡ができないようにされた。
児玉氏は、「ハヤシ」こと田中氏から本当の身分を聞かされておらず、ハイジャ
ック犯人であることを知らずにビジネスを一緒にやろうとしていたのだから、普通
ならば騙されたと思って田中氏とは絶縁しようとするだろう。ところが、児玉氏と
田中氏との友情は強く、不信感を払拭して、二人で共に冤罪とのたたかいを決意す
ることになる。この二人の信頼関係、なかんずく児玉氏の田中氏への強い友情が、
その後の裁判の経緯とともに、強力な支援者を獲得していくことに繋がっていく。
面会した者は、児玉氏の人柄に強くひかれて、そのままにしておけなくなる。今日、
支援は大きく拡がっているが、その多くは「田中・児玉両氏の支援」と言うよりも、
「児玉・田中両氏の支援」を意識して動いているのである。
児玉章吾氏は、カンボジア生まれの華僑で、若い頃に日本に留学し、日本人女性
と結婚している。カンボジアでは富裕な一族に属し、王室や高官関係に知己が多く、
木材業など手広くビジネスを展開していた。1975年4月ポルポトの権力掌握の際に
家族とともに脱出し、難民となって日本にわたり、汗水流す努力が実って、異例の
早さで日本国籍を獲得した。家族は日本にいて、息子さんはビジネスマンになって
いる。
1993年の国連管理下のカンボジア選挙の後、再びプノンペンに入り、「ハヤシ」
こと田中義三氏と知り合い、意気投合して児玉国際貿易株式会社を立ち上げた。レ
ストランやカラオケ店も共同経営していた。日本では民族差別にも会ったことがあ
るが、日本を愛し、カンボジアを愛する豪傑肌の国際人である。児玉氏の日本にい
る家族は、田中氏逮捕に引き続く一連の報道で、大変な苦境に追いやられ、とくに
日本電波ニュース社が制作したテレビ朝日の番組では、同情するふりをして接触し
てきた高世仁らに騙されたと憤慨している。
児玉氏は、タイを中心に商売をやっていたR氏とは同じ中国の潮州出身で、三十
年前からの知り合いだったが、とくに親しくしていたわけではなかった。事件の起
こる前に、R氏がカンボジアに輸入しようとしていたタバコが税関に引っ掛かって
動かせなくなり困っているという話を持ちかけられ、児玉氏がR氏に代わって税関
当局と交渉し、しかるべき資金も提供してタバコを引き出し、それを売りさばくこ
とを始めていた。R氏には、タバコが売れた場合に最初の仕入れ価格に相当する分
の金額を支払うという約束だった。その他、材木に関する商売の話もあって、1995
年の11月頃、バンコクのホテルで商談をしたことはあり、その際にR氏の部下とし
てN氏も同席したという程度で、偽ドルの話などは全くなかったという。
「ハヤシ」こと田中氏は、自分が「よど号」のメンバーであることを伏せて、ビ
ジネス活動としてプノンペンに来ていたので、タイには一度も入国したことがない
と証言している。アメリカSSの証人も「ハヤシがタイに入国した証拠はなかった」
と公判で認めざるを得なかった。
7.田中氏らの裁判
偽ドルを両替したとして起訴された二人のホテルガードマンは、663/2539号事件
として裁判にかけられ、それぞれ「被告1」「被告2」と呼ばれている。現在「被
告3」と呼ばれている「ハヤシ」こと田中義三氏は 1105/2539号事件、「被告4」
のホテルマネージャー、「被告5」のN氏、「被告6」のR氏の3人が 1227/2539
号事件となり、三つの事件が併合されている。彼ら六人のチョンブリ地裁での裁判
は、タイでは記録的な長期裁判(3年近く)になって今日に至っている。
田中氏は、ずっとチョンブリ刑務所に在監したままだが、逮捕後1年くらいして
ペルーの日本大使館占拠事件直後から、両足に太い鉄製の鎖をはめさせられ24時間
外すことを許されなくなった。足鎖は、タイでは殺人などの粗暴犯人にはつけるら
しいが、偽札事件でつけさせられることはないという。田中氏は、一時金属アレル
ギーで足がただれるような状態となり、また、夜寝るときにもつけたままなので寝
返りもできず、慢性的な睡眠不足の状態が続いているという。また、タイの食事に
慣れることができず、田中氏はだいぶ体重をへらして、健康が憂慮されている。足
鎖は、いずれにしろ奴隷状態そのものであって、人権上重大な問題がある。支援者
が日本大使館に善処を要請しても、タイへの内政干渉はできないと、そっけない返
事しか戻ってこない。日本大使館は、田中氏の身柄を日本に送還させてハイジャッ
クの裁判にかけることに最大の関心があり、在留邦人の保護という本来の目的を放
棄したまま、警察から出向してきている領事に毎回の公判を傍聴させるだけである。
1996年5月から始まった公判は、検察側立証に一年半をかけ、98年から弁護側立
証に入った。「被告1,2」の弁護側証人調べがあって、「被告3」田中氏の弁護
側立証が98年6月から続いている。検察側が宣伝していたにもかかわらず、田中氏
と児玉氏の電話盗聴録音テープは、全く偽ドルとは無関係であった。
アメリカSSに脅迫・拷問されて、R氏およびN氏の供述書に、偽ドルがらみで
コダマ・ハヤシの名前が出ており、バンコクのホテルでの謀議にハヤシも同席して
いたことになってしまっている。そして、児玉氏の供述書なるものにも、ハヤシの
名前が出ている。裁判では、唯一の物証である「指紋」と、これら強制された「自
白」をつぶさないことには無実の証明ができない構造になっている。
8.指紋の問題
1238枚の偽ドル札の1枚から1個だけ、田中氏の右人指し指の指紋が検出された
ことになっており、検査はアメリカで行われ、その検査を行った専門家はチョンブ
リ地裁で証言もした。しかし、その札束を包んでいたというビニール袋からは指紋
は検出されたことになっていない。常識的には、ビニール袋こそ指紋が付きやすい
はずではないか。
1枚の札から検出された指紋と、比較照合した指紋カードは、アメリカの FBI方
式のもので、「ハヤシ」こと田中氏が逮捕された後の1996年3月27日に作成された
ことになっている。ところがこの指紋カードには、「HAYASHI SHOJI」とタイプさ
れ、生年月日が1936年7月9日となっている。1936年生まれというと61歳となり、
田中氏の年齢とは差がありすぎる。児玉氏の供述書には、ハヤシの名前として、カ
シノリ/シロカギ/ヒロアキは出てくるが、ショウジは出てこない。そのほかにも
様々な疑問点があって、支援者が調査を重ねた結果、ちょうど事件の頃にタイに観
光で出入りしていた日本人で、林正二氏という人が実在していることが判明した。
しかも、この林氏の生年月日が、36年7月9日だったのである。林氏を尋ねて実情
を話したところ、自分の名前が知らないあいだにそうしたものに利用されていたの
は不穏当だということになり、証人になってくれることになった。98年9月の公判
で林正二氏は証人採用され、指紋カードの名前と生年月日は自分のものに間違いな
い、その頃自分はタイに出入りしており、流用されたことは遺憾であるという証言
を行なった。
ちょうどその頃、オウム真理教の林泰男氏がタイに潜伏しているのではないかと
いう噂が飛び、日本の警察はやっきになって各国警察に手配を依頼しており、その
関係もあって、林正二氏の出入国記録もタイでリストアップされていたのではない
かとの推測が成り立つ。「ハヤシ」こと田中氏が逮捕されてから裁判が始まるまで
の間、4月から6月にかけて証拠を作るための動きがあって、相当の無理を重ねた
結果が裁判に提出されているのではないかと考えられる。
指紋の問題に関して、田中氏の弁護側は、より詳細な再鑑定を準備している。
以上が、タイにおける児玉章吾氏と田中義三氏にかかる偽ドル事件の概要である。
支援者の一人が言った。「ハイジャック犯人であろうとも、冤罪は許されない」繙
けだし名言である。
児玉章吾氏とその家族という苦労を重ねた国際人が、このまま、冤罪の汚名を着せ
られて、見捨てられてはならない。
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