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田中・児玉事件にわしがかかわってもう一年近くなる。最初は元赤軍派のMいうおっさんが、大谷くんのところに話をもってきたのが、忙しい、いうてわしのとこに振られてきたんやった。わしかて忙しいがな。
しやけど、このMいうのが、赤軍派ピース缶爆弾事件かなんかで誤認逮捕されて、4年も収監されたあげくに無罪やった上、刑事補償をしっかりとってそのカネで家をたてたいうおっさんや。えらい粘っこい、なかなかあきらめよらへんねん。
「田中は宮崎さんのファンです」いいよってなあ。わしも「突破者」出したばっかりで、読者やいわれると弱いとこがあって、「ファンやったらしゃあないなあ」ちゅうて、わしはタイまでいったんや。ほんで話してみると、まあ、これはどうみても「北朝鮮のヒミツ工作員」とかいうようなタイプの男と違う、とわかった。それで、児玉氏の息子とか、お母さんとかえらいひどいめにあわされとるのをみてほっとけんようになってもた。あとは、ここに書いた通りや。
ただ、気が付くと膨大なデータになっていて、最近アクセスしてきてくれた人はなんのことやらわからんかもしれんので、ちょうど、喜代美さんがまとめてくれたから簡単な経過をここに書いておく。
98/10/2 宮崎 学
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★事件の発生と裁判までの経過★
1996年1月パタヤで偽ドル事件が発生。デイナイトホテルの警備員の二人が
何回かに分けて9千米ドルを写真屋兼ヤミ両替商ケティラック氏(以後K氏)で両替をします。その3日後、その米ドルが偽札であると知ったK氏はパタヤ警察に被害届を出します。
そして警察の調べ(正確にはアメリカ財務省SS)によって、次のよう
な金のながれが「解明」されます。
二人の警備員はデイナイトホテルのセールスマネージャーのソムチャイ
から受け取っていた。
ソムチャイは友人のニヨムより受けっとっていた。
ニヨムは元のビジネス上でのボスのロパチャイより受け取っていた。
ロパチャイは児玉氏から受け取っていた。
そして、児玉氏は田中被告から受け取っていた。
これらの「解明」はすべてSSの脅迫、違法なおとり捜査、でっち上げ
によっておこなわれ、次々といもづる式に計7名が検挙されたのです。
この事件では7人の被告人がいます。田中さんと児玉さん以外は全て仮釈放され
ています。そして、検察の主張「7人はぐるになって偽ドルビジネスをやってい
た」というのは事実ではないと言って7人全員が容疑を否定して裁判で争っ
ています。ただし児玉章吾氏は不当な「略式裁判」で二年半の刑を言い渡され
収監されてしまっており、現在氏は再審請求中、高裁の判断を待っています。
時系列でみていきますと、
96年1月2日 パタヤの写真屋に男二人が来て9千ドルを両替
「夕刻になって偽札だと気が付いた」
1月5日 その写真屋のオーナーがパタヤ警察に被害届けを出し捜査依頼
ここまでに三日間経っているのは不自然
被告1(ソムチャイ)被告2(プラソン)逮捕さる
1月12日 米国財務省シークレットサービス偽造紙幣鑑定専門家
ジェームス・ブラウン一行が來タイ
1月16日 米国財務省シークレットサービス偽造紙幣捜査部の
ジェームス・デビッドソン副部長らがタイ訪問
1月18日 タイ警察局立証検査部を米国SS一行が訪問
「パタヤ事件」の偽ドル90枚の報告をタイ側から受ける
1月20日 米国SS一行チョンブリ刑務所に行き被告2(プラソン)
を尋問。被告1(ソムチャイ)は保釈されていた。
SSはデイナイトホテルへ行きガードマンの被告1を尋問。
その夜バンコクで被告4(ソムチャイ・チャントーン)を尋問。
被告4はドゥシタニホテルに監禁さる。
1月24日 被告1、被告2に対する逮捕状。被告4に対する逮捕状。
SSが被告4(ソムチャイ)の体に盗聴器をつけさせ、偽ドル
札を持たせて被告5(ニヨム・プラサート)に会いに行かせる。
その偽札をニヨムに渡したところを検挙しようとの計略。
しかしその偽札をニヨムの家族がトイレに投げ込んでしまった
ので成功せず。
その後、ニヨムは妻の実家があるスリン県に身を隠す。
1月25日 被告5(ニヨム)に対する逮捕状。
2月7日 タイ警察ニヨムをスリンで検挙
2月8日 バンコクでSSがニヨムを尋問。
SSが被告5(ニヨム・プラサート)の体に盗聴器をつけさせ、
偽ドル札を持たせて被告6(ロパチャイ・チャナチャイチョン)
に会いに行かせる。その偽札をロパチャイに渡したところを検
挙しようとの計略。ロパチャイが受けとらなかったためニヨム
は走り去るロパチャイの車に偽札束を投げ込む。
こうしてロパチャイを「検挙」
SSがロパチャイを尋問。
SSがロパチャイにプノンペンの児玉章吾に電話をかけさせて
バンコクにおびき寄せる計略。
2月9日 プノンペンから空路バンコクに出てきた児玉章吾に
被告6(ロパチャイ)を出迎えさせる。盗聴器を付けさせ、
「偽ドルに関する会話を交わしたところを検挙」という計略。
その種の会話は無し。
しかし児玉章吾を検挙しバンコク北署に監禁。
児玉章吾の所持品から写真アルバム。その中に「プノンペンの
弟分のハヤシ」の写真が見つかる。現金4千ドル余も押収され
たがすべて真札だった。(これはSS、タイ警察も認めている)
2月10日 SSプノンペンに飛ぶ。
この日か翌日(日曜)SSが児玉国際貿易会社の事務所に行き
ハヤシこと田中義三と会う。
だがこの時点でSSはハヤシの正体を掴んでいなかった。
ずさんな態勢、日本語通訳も連れていかず。そのためSSと田
中義三のあいだでまともな会話も成り立たず。SSは児玉章吾
と田中義三に電話で話し合いをさせ盗聴録音。
「この通話のなかに偽ドルに関するやりとりがあった」とSS
は主張。しかし実際には全くなし。(公判で確認された)
一方田中義三は「ハイジャック犯であるのがばれた」と考え
スキをついて逃走。
まんまと逃げられたSSは家宅捜査、田中義三の顔写真を手に
入れる。
そして「児玉章吾の通報によって、事務所一階の田中の仕事机
の引き出しに偽ドル札の束があることが分かり捜査したら出て
きたので押収」と四ヶ月後に「証拠提出」
2月12日 被告6(ロパチャイ)及び児玉章吾にたいする逮捕状。(パタ
ヤ警察署)
2月13日 被告6(ロパチャイ)取調べの記録(当直日誌)「容疑を裏付
ける証拠無し。釈放する」(バンコク北警察署)
児玉章吾取調べの記録(当直日誌)「容疑を裏付ける証拠無し。
釈放する」(バンコク北警察署)
その一方で児玉章吾と被告6(ロパチャイ)はバンコクで「逮
捕」さる。
同日、バンコクのルンピニ警察署による「児玉章吾容疑者の供
述書」なるものがつくられた。「ウォンから偽札を受け取った」
2月16日 この日までにSSはハヤシ=ハイジャック犯田中義三とつかん
でいたのは確実。ハヤシカシノリ、タントーホック、ウォンに
対する逮捕状
2月27日 児玉章吾、容疑を裏付ける証拠不十分として釈放。
この日以降約一年三ヶ月にわたり児玉章吾行方不明。
SSとしては、よど号ハイジャック犯に逃げられ、児玉章吾も知らぬ間に
釈放されていたという二重の失態。このあと二人の足取りを追って執拗な
捜索活動を展開。
3月22日 田中義三が北朝鮮大使館(プノンペン)に入ったことをSSは
確認。
3月24日 バペット(カンボジアーベトナム国境)で北朝鮮大使館のベン
ツ車に乗った田中義三をSSの指示を受けたカンボジア国境警
察が取り押さえようとするも、田中は車の中で36時間篭城。
3月25日 米国ーカンボジアー北朝鮮の協議(実質的には米国ー北朝鮮)
で田中義三の身柄が米国の手に引き渡される。
3月26日 田中の身柄強制移送される。
プノンペンーバンコクは民間機(ロイヤル・エア・カンボジェ)
バンコク空港トランジットでそのまま米国へ移送する計画だっ
たが頓挫。
タイ国内に田中を入国させ、米大使館近くのルンピニ警察署に
留置。
3月27日 午前田中義三の警察写真、指紋採取。
SSらによる「取調べ」
日本大使館の村島領事(公安)が来て「日本人かどうか確認」
よど号犯とは気づかず。
夕刻パタヤ警察に移送さる。
フジTV記者田中義三とスクープ会見。田中が本名を明かす。
その一報で日本警察、マスコミ色めきたつ。
3月28日 日本マスコミの報道合戦はじまる。
共同の取材にたいし日本大使館筋は「田中義三はすでに二月上
旬に林正二の名で捜査線上に浮上していた」と答える。
3月30日 米国捜査班(SS,CIAなど)最後の訊問、脅しと甘言。
その後、日米タイ三国の協議。「早期に田中の身柄を日本にひ
きわたすことで合意」(偽ドル事件の立件は無理との判断)
4月11日 米国、タイ検察に田中起訴をさせる。「新証拠を提出する」
日本警察、大使館は寝耳に水。
とりあえず、 以上。
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