所沢ダイオキシン野菜報道について

-テレビ朝日報道を評価する-


 所沢の野菜がうれんようになって、農民がテレビ局に押し掛ける、ちゅうようなさわぎになっている。このテレビ局は、わしが目下、田中報道で訴訟を起こしておるあのテレビ朝日、である。

 また、やったかテレビ朝日、と言いたいところだが、ちょっとこの話は違う。
結論からいうと、この件に関してはわしはテレビ朝日の報道を評価する

 この問題は、「ダイオキシン」にあるので、「報道」にあるのではない。
まるきり、田中報道の時のような、権力側の発表だけを鵜呑みにして、その「追跡報道」とかやったんと違う。

 むしろ、この報道によって、これまで隠していた「数値」を「証文の出し遅れ」でも発表せざるを得なくなった、というのやから、これは本来、報道に期待されている役割、というべきであろう。それは「野菜が売れなくなってどないしてくれんねん」という農民の怒りとは別の次元の話や。

 テレビ朝日、であろうとなかろうと評価すべきは評価したらんと、ますますこの国のマスコミはあかんようになる。

 むろん、スーパーの客が、少しでも「毒」があるかもしれんもんを買うかいや。それが本当に「毒」かどうか、確かめるすべもない庶民にとって、「買わない」という選択も正しい。

 2ヶ月ほどまえの「文芸春秋」だと記憶しているが「ダイオキシン」そのものの毒性、というのは実は、学者のなかでもはっきりしてない、という指摘があった。
「もっとやばい化学物質がいっぱいあるのに、まだ1人の死者もでてないダイオキシンだけで何をこんなに騒ぐのか」ちう内容だったとおもう。たしかマスコミ向けの学者のええ加減発言を指摘してもいた。

 しかし、大衆は、どのみちそういうことが本当かどうかわからない。発表したらうれんようになる、とJA所沢がよう発表しないやろ。そしたら公的機関は税金でくうとるんやから、ただしい情報、信頼できる機関によって発表せなあかん。それをやっとらんで、テレビ朝日がセンセーショナルな報道をした、と責めるのはおかしい。もともとテレビはセンセーショナルな報道をするもんなんやから。田中報道のような、「でっちあげ」のようなものを許してはならないが、「ダイオキシン濃度がこれだけもありまっせー」というのが事実ならしゃあないんやないか?

 あの報道で欠点がある、としたら、なんで所沢にダイオキシンを出すゴミ焼却場があんなに集中してつくられたのか、それは誰がつくったのか、その背後におる政治屋はだれやねん、というような掘り下げ、であり、あのような廃棄物消却業を営む人々が戦後どのような歴史のなかで誕生してきたのか、というような視点の欠如である、とわしはおもう。今からでも取材してみたら、おそらくおもろい事実がぼろぼろでてくるやろ。

 もともとダイオキシンいうのはベトナム戦争の枯れ葉剤、つまり化学兵器やった。 実は、ダイオキシンで問題になっているこの焼却炉にかんしては、「電脳キツネ目組」内に興味をもって調べておる人間がおって、数ヶ月まえアメリカ中まわって関係者に取材してきとるんや。

 詳しくは言わないが、結論は「ゼニさえかけたら、このような毒性のある物質をださない消却技術はとっくに完成されている」ということであった。が、この焼却炉は輸入されていない。「非関税障壁」ちゅうやつやね。バブル放漫経営でつぶれそうな銀行にはゼニをじゃぶじゃぶつぎこむこの国は、国民の健康不安とかでも、既成の業界の利益に反するときはなにもしない、どころか邪魔しよるという体質はなんもかわっていないのや。

 いずれにせよ、野菜つくっとった農民が災難や、ということは事実やが、その災難の原因はテレビ朝日ではない。ベトナム戦争と、日本戦後政治経済史がしっかりからまったとる。そこを見誤ると、何度でもこういう騒ぎはおきるけど、政治家が「所沢野菜サラダ」いくら喰うてみせてもなんもならんのや。損害賠償請求するさきをまちがえんほうがええ、とわしは思う。

                            (宮崎 学)